Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.12.17

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◇◇◇ 特別室 ◇◇◇

◆ 地方史研究協議会 大阪大会 AA室

1999年10月16日〜18日



『地方史研究協議会 第50回(大阪)大会レター二ュース
−新しい地域史研究の方法を求めて−』

(編集発行) 地方史研究協議会第50回(大阪)大会実行委員会 (担当:藤田・古川)
(事務局)大阪電気通信大学 小田研究室 〒572-8530 寝屋川市初町18-8
TEL(0720)24-1131(呼) FAX(0720)24-0014
e-mail oda@isc.osakac.ac.jp

『地方史研究協議会 第50回(大阪)大会レター二ュース No14』 1999.12.3

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大会─盛会のうちに終わる

 第50回(大阪)大会は当初の予定通り、10月16日から17日までサンスクエア堺を会場とする研究発表・討論・記念講演・懇親会、また、18日には和泉・河内・摂津の3コースに分かれての巡見と、いずれも盛会のうちに終了しました。16日と17日には合計400人を超す参加者があり、巡見は3コース合わせて120人を超す参加者がありました。また、ギャラリーで行われた書籍等の展示販売には11の出版業者、11の市史編纂関係、13の研究団体などからの参加があり、にぎわいました。

 大会会場では、熱のこもった研究発表に、会場を出る人も少なく、熱心な質疑が交わされ、また、記念講演に耳を傾けていました。二日目の最後に行われた全体討論では、地域史のあり方について、また、摂河泉地域の特徴、その中における巨大都市大阪の意味について司会者の巧みなコーディネイトの下、興味ある討論が交わされました。

 本大会には、全国35都道府県から会員217人、非会員171人の方が参加し、また、地元から200人を超す人々が集まりました。特に、地元からの参加者については、自治体史・博物館などの関係者、いろいろな地域の歴史研究団体に所属の方々、各大学の院生・学生諸君など、たくさん参加いただきました。本大会は、まず何よりも、このような人々の厚い協力の上に持つことができたことを、主催者の一人として心より御礼申し上げるものです。

 本大会の実現にあたっては、まことに多くの人々の御協力がありました。ユニークな研究発表を短い時間の中で纏め上げられた自由論題および共通論題報告者の皆様、記念講演を快く引き受けていただいた乾・脇田両先生、準備研究会の実現にご協力いただいた多くの研究団体・研究者あるいは博物館や公民館等の関係者の方々、協賛金やカンパにご協力いただいた多くの有志の皆様、実行委員会のたびごとにわざわざ大阪地区まで出向かれて意見調整等にご尽力された大会運営委員の皆様、経費面での補助、パンフレットなどの手配にご助力いただいた堺市コンベンション協会、また、巡見の実施に地元側として案内その他多くの労を取られた関係の方々、また、手弁当で煩雑な事務やレターニュースの発行などに進んでご協力いただいた若い事務局員の皆様、本当に厚く御礼申し上げます。

 われわれ実行委員会では、大会終了後に開いた総括のための会合において、この大会を機に集まってこられた公私にわたる多くの研究団体・組織の方々の期待に添うべく、交流会を近い時期において催すことの必要性について認識を一致させました。今回の大会はこれで終わったのではなく、関西においてこの後展開する地域史研究者の交流の新しい展開の始まりにするべきであろう、というのが一致した認識になった訳です。

 地域史研究は、どう組織されるべきなのか、何を目指すべきなのか、実は、まだよく分かっている訳ではありません。しかし、この大会がこうした問題に何らかの回答を与える一つのきっかけになっていたのであれば、それを求めて思い切って前に進んでいくべきだと考えるものであります。なにとぞ、多くの人々のご協力によって、この大会をさらに意義あらしめる次の一歩を踏み出させていただきたいと願います。

    (大会実行委員会事務局長小田康徳)

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大会参加者の分析が語るもの

 地方史研究協議会第50回(大阪)大会を検討すると、いろいろなことが見えてきます。詳細な総括は、いずれ常任委員会を中心にまとめられると思いますが、ここでは大会への参加者を検討することから分かることをまとめておこうと思います。

400人を超した参加者

 まず、大会への参加者に関する全体的な状況を知るため第1表を作成しました。これは、大会会場受付での記帳に基づきます。記帳した人は二日間で388人(うち、301人が1日目に記帳)、この他、報告者が13人(自由論題3人、共通論題10人)、他に記帳しなかったが確実に会場に姿を現した方や、書籍の展示販売等に従事された方もおり、総数では間違いなく400人を10人は超す参加数があったと考えていいでしょう。

地元と全国との協力

 さて、大会には全国35都道府県から広く集まったことが分かります。さすがに全国的な学会であったといえます。ところで、この参加者のうち大阪・京都・滋賀・奈良・兵庫・和歌山の関西2府4県に在住する人々が一応地元参加者と考えますと、その参加数は209人。全体の過半数を少し超しました。まさに地元と全国の人々が一堂に会して大会を盛り上げたわけです。

 では、参加者の内訳を見てみましょう。会員は217人、非会員は171人となっています。このうち会員は34都道府県から集まってきました。これに対して非会員は13都府県にとどまっています。しかもそのほとんどは大阪をはじめとする関西の府県です。すなわち、関西以外から集まった人々は多くが会員(151人)であったのに対して、地元関西側の多くは非会員(143人)によって支えられていた訳です。地元と全国との協力とは、非会員・会員の協力でもあったと言っていいでしょう。地方史研究協議会の側からいえば、ここにその支持基盤を広げる可能性が示されているのではないでしょうか。

多様な参加者

 次に、所属別の数字を検討してみましょう。これも、記帳者の記入内容のみをもとにしました。すなわち、複数の所属先があることが分かっている人、無記入であっても所属先が判明する人もいましたが、ここでは記入者の意志を尊重した訳です。全体的には、大学関係(院生・学生を含む)・諸機関(自治体史・博物館・史料館・図書館など)・研究会所属の方が多く、高校や高専に職を得ている方もありました。しかし、これを地域別に見ると、非関西地域においては大学関係が他を圧倒しているのに対し、関西地域については諸機関・研究会所属が大学関係と肩を並べ、高校所属もある程度の比率を占めていることが分かります。また、関西地域では、大学関係のうち4割余りが学生・院生であることも興味をひきます。要するに、関西地域ではより広く地域史ないし地方史研究に取り組んでいる人々が大会に参加したと言っていいでしょう。

 第2表は関西地域の参加者についてさらに詳しく表示したものです。所属組織名もあげておきました。実に多様な機関や組織に所属する人々がこの大会に集まったことが分かります。その多くの人々が非会員であったことも見ておかねばなりません。つまり、非会員を含む関西地域に住む多くの地域史研究者がこの大会に期待を寄せていただいたことは明らかであります。地方史研究協議会はこの期待に、この大会のみならず今後ともいかに応えていくか、重い課題を背負わされた訳です。

今後の活動が重要

 今大会に対する地域史研究者のこうした期待は、大会実行委員会が推進してきた各地研究者・研究団体等との交流を求めた準備研究会の積み重ねの上に実現したものです。私たちは、この活動の中で地域史研究の社会的基盤がどこにあるか手探りを繰り返したものと考えています。また、地域史研究ないしは地方史研究の発展には、さらなる努力が求められていることも痛感いたしました。本大会の結果を生かしていくのは、いよいよこれからのことだという思いを強くしているところです。

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第1表 大会参加者総括表

都道府県名 会 員
参加者
非会員
参加者
合 計 諸機関 研究会 大学関係 うち院生
または学生
(判明分)
高専 高校 その他
愛知 1 1 2 1 1
青森 6 1 7 6 1
石川 4 4 1 1 2
茨城 1 1 1
岩手 1 1 1
大阪 40 89 129 29 35 27 (8) 9 29
岡山 1 1 1
香川 1 1 1
神奈川 17 8 25 2 10 (1) 13
岐阜 1 1 1
岐阜 1 1 1
京都 10 11 21 5 7 (4) 9
熊本 1 1 1
群馬 6 6 1 2 3
埼玉 12 12 2 5 1 4
佐賀 1 1 1
滋賀 1 4 5 2 1 2
島根1 1 1
千葉 11 2 131 1 7 (1) 4
東京 59 8 67 9 30 28
栃木 2 2 2
富山 1 1 1
長野 2 2 1 1
奈良 3 15 18 7 1 5 (4) 1 4
新潟 2 2 1 1
兵庫 6 21 27 6 1 14 (6) 6
広島 4 3 7 1 5 1
福井 1 1 2 2
福岡 1 1 1
北海道 5 5 2 2 1
三重 2 1 3 1 2
宮城 3 3 2 1
山形 2 2 2
山口 1 1 1
和歌山 6 3 9 5 1 2 1
不明 1 2 3 3
 合 計 217 171 388 79 43 136 (24) 2 11 117
関西2府4県 66143 2095438 56(22)0 10 51
非関西地域 151 28 17925 5 8021 66

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第2表 関西2府4県の参加者一覧

所属先 会員(人) 非会員
(人)
合計(人) 組織・団体数  名   称
自治体関係 8 29 37 20 大阪府・貝塚市・茨木市・河内長野市・田辺市・東大阪市・大阪狭山市・岸和田市・寝屋川市・羽曳野市・泉佐野市・大阪市・門真市・亀岡市・寝屋川市・松原市・箕面市・かつらぎ町・新庄町・和歌山県
図書館・博物館・史料館・研究所 7 10 17 10 城陽市歴史民俗資料館・奈良県立図書館・歴史館いすみさの・大阪市博・堺市博物館・八尾市立博物館・神戸深江生活文化史料館・白鹿酒造記念博物館・元興寺研究所・公害地域再生センター
研究会 16 22 38 11 尼崎市史を読む会・大阪春秋・大阪歴史懇談会・含翠堂顕彰会・芸備地方史研究会・堺古文書研究会・住吉古文書の会・泉南歴史研究会・高安城を探る会・和歌山地方史研究会・歴教協
大学関係(うち院生・学生) 16 40 56 30 大阪経済大・大阪産業大・大阪市立大・大阪大・大阪電気通信大・大阪府立大・大手前栄養文化学院・大手前女子大・関西学院大・関西大・京都産業大・京都女子大・京都大・近畿大・甲子園大・神戸女学院大・神戸女子大・滋賀県立大・鈴鹿国際大・大院大・橘女子大・帝塚山学院大・帝塚山大・奈良教育大・奈良大・羽衣短大・花園大・仏教大・桃山学院大・和歌山大
高 校 2 8 10 8 大阪高校・工芸高校・佐野工高・豊中高校・西寝屋川高校・府立登美岡高校・桃谷高校・淀川女子高校
その他および不明分 17 34 51 河北印刷
  合    計 66 143 209 79

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第3表 書籍の展示・販売・案内等実施の諸団体

1、出版社
    和泉書院・思文閣・名著出版・吉川弘文館・山川出版社・文献出版・雄山閣出版・岩田書院・国際マイクロ写真工業社・批評社・農文協
2、自治体
    河内長野市・東大阪市・岸和田市・泉大津市・松原市・羽曳野市・大阪狭山市・神戸市・熊取町・泉佐野市・大阪市
3、研究会・その他
    大阪天満宮史料室・阪神淡路大震災記念協会・歴史懇談会・『堺・泉州』・『大阪春秋』・全史料協・史料ネット・関西近世考古学研究会・戦国史研究会・交通史研究会・大阪歴史学会・大阪歴史科学協議会・泉佐野の歴史と今を知る会

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 伊勢戸佐一郎氏を悼む 

 大阪市の教育委員長を務められた伊勢戸佐一郎氏が、10月18日の午後に逝去された。享年68歳であった。伊勢戸氏は大阪の船場生まれで、生家は銘木問屋であった。大学を出てから家業を継いだが、何年かの後、商売に向いていないことを自覚し、周辺に迷惑をかけぬようにして廃業した。それからフリーの立場で大阪の歴史研究に取り組み、『大阪春秋』などでの執筆活動をするかたわら、「船場を語る会」の世話人を務めたりした。大正末期から昭和10年代のいわゆる「大大阪」の時代を研究対象とし、電話帳を使って昭和10年代の船場の地図を復元したりしたが、「大大阪」論をまとめるのを念願としていた。

 郷土史家と言われるのを嫌い、地方史家を自称していたが、それは、郷土史家という響きが、自分の生まれ育ったところから一歩もでないという印象を与えるからで、自分は日本の中の大阪を常に見つめているのだと自負していた。そのこともあり、地方史研究協議会の大阪大会に協力を惜しまないと表明されていたが、今年に入って病魔の犯すところとなった。残念でならない。

 業績としては、『西区の埋もれた川と橋』『西六』『銘木浜日記』などがある。いずれも伊勢戸氏の名前単独ではないが、氏の業績として評価すべきものである。船場に生まれた強みを生かしての考証、特に戦前期に関しては優れたものがあり、NHKの連続ドラマの監修も行った。また、大阪大空襲後の米軍撮影フィルムでの焼け跡場所特定などには大きく寄与した。晩年の一時期に短期大学の教授も勤めたが、一貫して市井人の立場で発言していたことが特徴である。伊勢戸氏の心意気を継承していくことが、大阪で活動を続けるものの責務でもあろう。 (堀田暁生)

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   ○その他の記事
     ・実行委員会会計報告
     ・協賛金出資者
     ・実行委員会・事務局の活動日誌
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