徳川幕府
下半期
の分水嶺
難風と好
船長
松平定信
と将軍家
斉
対外準備
の油断
重大問題
に無関心
大事件の
一は、大
塩事件
大塩事件
の影響と
刺戟
結果から
打算す
幕府顛覆
の急先鋒
直接行動
の成果
維新回天
の気運漸
次擡頭
民族的元
気の勃興
勤王志士
の凱歌
|
横井小楠の句に曰く『明君初政若雲晴。荒廃中年以後情』と。是れ宛も
将軍家斉其人、及び其の時代に対する断案と見るも、妨げあるまい。家
斉の治世は、徳川幕府下半期に於ける分水嶺にして、彼の長き一代は嶺
頭から嶺腹に、即ち絶頂から降坂まで跨つてゐる。
* * * *
* * * *
人或は天下大勢、既に衰世に傾く、善者ありと雖も、亦た之を如何とも
する能はぎる可しと云ふ。此れも一理である。難風が吹けば、航海は困
難であるに相違ない。されど此れが為めに船体が覆没せねばならぬとは
限るまい。覆没すると否とは、船体其物の堅牢と否とによるが、亦た船
長其人の力、興りて大に居ることを否定す可きではあるまい。善き船長
ならば、老朽船でも、兎も角も無事であり、悪しき船長ならば、新造船
ことさ
でも無事なる能はぬ場合があることは、吾人が故らに云ふ迄もあるまい。
* * * *
* * * *
古人は天下為す可からざるの時なく、行ふ可からざるの地なしと云うた
が、此れは無制限には、受容れかぬるが、然も或る保件の下には、其通
りと認めざるを得ない。若し将軍家斉の代りに、松平定信にても将軍た
らしめたらば、少くとも対外施設に就ては、恐らくは或る程度の見る可
きものが出来たかも知れない。日本が外来の勢力に圧迫せらるゝは、止
む可らざる大勢でありとするも。それに無抵抗であると、それを或る程
度迄裁制するとは、一に我が力の有無、及び其力を使用する方法の巧拙
如何による。
* * * *
* * * *
今更ら愚痴を滾す訳ではないが、外国の勢力は、決して青天の霹靂の如
く、我国に落下し来たのではなかつた。其の準備を怠つたのは、正しく
家斉時代である。若し此の時代に我が対外知識を磨礪し、我が世界的眼
界を濶大にし、而して我が国防的施設に遺算なかつたならば、露国が来
つたとて、米国が来つたとて、英国が来つたとて、何等驚くことは無か
つた筈だ。吾人は如何に大勢論を振り廻しても、その準備を怠りたる責
任まで、之を大勢に推し付く可き理由を認めない、否な認むることが出
来ない。
* * * *
* * * *
内部の分解作用に就ても、其の施政の如何によりて、之を喰ひ止むるこ
とが絶対的に不可能とは思へない。苛も其人あらば、時と与に変通の政
を施して、土崩瓦解の頽勢を禦ぐことが出来ない訳もあるまい。されど
家斉時代は、斯る重大問題には全く無関心にして、将軍家斉を中心とし
て、幕閣の当局者は――其の極めて少数者を除く外は――概ね噴火山頭
の蹈舞に耽つてゐた。即ち老朽船の船頭が、昼寝をしてゐる間に、船は
風と波とのまに\/何処ともなく漂ひ去つたのだ。
* * * *
* * * *
此間の大事件と云ふ可き一は、実に大阪に於ける大塩事件だ。何人も之
を以て唯だ大勢の作用のみとは云ふを得ない。大塩事件の中心は、何と
云うても大塩平八郎其人を挙げねばならぬ。或者は大塩を以て、道学的
豪傑視し、或者は大塩の此挙を以て、興王倒覇の大運動とし、而して之
に反するものは、大塩を以て、一の妄庸子とし、一の偽道徳、偽豪傑と
し、而して此の拳を以て、竪子の妄動とす。
* * * *
* * * *
予は今ま猝かに大塩其人に就て、定論を下さんとする者ではない。又た
大塩の此の挙に勿体を附けんとする者でもなく、而して又た之を以て深
き意義ある行動とも思はない。或は大塩は自惚強き強情者であり、或は
大塩の此の挙は病癇癪紛れの発作であつたかも知れない。其の人物や、
其の動機は、歴史家が必らずしも深く干預せねばならぬ問題ではあるま
い。それよりも重大なる問題は、其の事件の影響だ。即ち其の社会に及
ぼしたる影響は如何。其の天下の人心に及ぼしたる感化は如何。而して
其の将来の国運の趨勢に及ぼしたる刺戟は如何。
* * * *
* * * *
事件其物から云へば、大阪に於ける大塩の焼打は、天明年間に於ける浅
間山の噴火程のことはあるまい。されど其の結果から打算すれば、此れ
は重大事件だ。容易ならぬ重大事件だ。徳川幕府の鼎の軽重は、寛永の
島原一揆以来、始めて問はれた。而して天下は此挙によりて、始めて徳
川幕府の如何に腐敗してゐる乎、如何に其の内部の空虚である乎、如何
に其の与し易き乎を知つた。
* * * *
* * * *
固より事件と同時に、これが悉く暴露せられ、これが悉く感付かれ、こ
れが悉く知れ渡つたとは云はない。されど誰しも此の一挙によりて、如
何に徳川幕府の自衛機関に錆がついた乎、罅が入つた乎を猜知せずして
止む能はなかつた。大塩平八郎の目的は、必らずしも徳川幕府を顛覆す
るではなかつた。されど彼は其の結果に於て、幕府顛覆の急先鋒となつ
た。此れは当人たる彼の本意であつた乎、不本意であつた乎、そは詮議
する迄もない。兎も角も其の成績から論ずれば、彼の直接行動は、高山、
蒲生、林子平等の言論に比して、より偉大なる直切簡明の効果を齎らし
たと云はねばならぬ。然るに幕府の当局者は、果して之を以て其程の重
大事件視したる乎、否乎。
* * * *
* * * *
何物にも両面がある。旧分子の分解時期は、即ち新分子の結合時期であ
る。吾人が一方に於て旧年を送ると云ふことは、他方に於て新年を迎ふ
ることである。吾人は家斉の晩年に於て、幕府が既に衰兆を現し来るを
認むると同時に、維新回天の気運が、漸次に頭を擡げ来らんとするを看
過することが出来ない。銭屋五兵衛の如きは、云はゞ一種の密売買貿易
者に過ぎない。されど斯る国法上の罪人も、歴史家の眼中から見れば、
実に開国運動の急先鋒と云ふを妨げない。
* * * *
* * * *
日本は何れにしても鎖国の殻を破る可く、其の民族的元気は、漸く勃興
し、其の膨脹的精神は、漸く擡頭せられつゝあつた。但だ当局者は睡夢
昏々、起て高楼に向て暁鐘を撞くの愚に倣うた。天下何の時にか先覚者
無からむ。然も其の先覚者は、草沢の貧学者にあらざれば、山野の浮浪
人に過ぎず、廟堂に崇論高議する徒輩は、概ね走肉行屍のみ。
* * * *
* * * *
謂ふ勿れ、覇府全盛を極めて、勤王の気振はずと。勤王有志の凱歌たる
頼山陽の日本外史と勤王志士の福音書たる日本政記とは、亦た是れ家斉
時代の産物たるに気附かずや。
* * * *
* * * *
|
|