Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.1.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その0

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

文政天保時代刊行に就て

徳川幕府 下半期 の分水嶺 難風と好 船長 松平定信 と将軍家 斉 対外準備 の油断 重大問題 に無関心 大事件の 一は、大 塩事件 大塩事件 の影響と 刺戟 結果から 打算す 幕府顛覆 の急先鋒 直接行動 の成果 維新回天 の気運漸 次擡頭 民族的元 気の勃興 勤王志士 の凱歌

横井小楠の句に曰く『明君初政若雲晴。荒廃中年以後情』と。是れ宛も 将軍家斉其人、及び其の時代に対する断案と見るも、妨げあるまい。家 斉の治世は、徳川幕府下半期に於ける分水嶺にして、彼の長き一代は嶺 頭から嶺腹に、即ち絶頂から降坂まで跨つてゐる。     * * * *      * * * * 人或は天下大勢、既に衰世に傾く、善者ありと雖も、亦た之を如何とも する能はぎる可しと云ふ。此れも一理である。難風が吹けば、航海は困 難であるに相違ない。されど此れが為めに船体が覆没せねばならぬとは 限るまい。覆没すると否とは、船体其物の堅牢と否とによるが、亦た船 長其人の力、興りて大に居ることを否定す可きではあるまい。善き船長 ならば、老朽船でも、兎も角も無事であり、悪しき船長ならば、新造船                      ことさ でも無事なる能はぬ場合があることは、吾人が故らに云ふ迄もあるまい。     * * * *      * * * * 古人は天下為す可からざるの時なく、行ふ可からざるの地なしと云うた が、此れは無制限には、受容れかぬるが、然も或る保件の下には、其通 りと認めざるを得ない。若し将軍家斉の代りに、松平定信にても将軍た らしめたらば、少くとも対外施設に就ては、恐らくは或る程度の見る可 きものが出来たかも知れない。日本が外来の勢力に圧迫せらるゝは、止 む可らざる大勢でありとするも。それに無抵抗であると、それを或る程 度迄裁制するとは、一に我が力の有無、及び其力を使用する方法の巧拙 如何による。     * * * *      * * * * 今更ら愚痴を滾す訳ではないが、外国の勢力は、決して青天の霹靂の如 く、我国に落下し来たのではなかつた。其の準備を怠つたのは、正しく 家斉時代である。若し此の時代に我が対外知識を磨礪し、我が世界的眼 界を濶大にし、而して我が国防的施設に遺算なかつたならば、露国が来 つたとて、米国が来つたとて、英国が来つたとて、何等驚くことは無か つた筈だ。吾人は如何に大勢論を振り廻しても、その準備を怠りたる責 任まで、之を大勢に推し付く可き理由を認めない、否な認むることが出 来ない。     * * * *      * * * * 内部の分解作用に就ても、其の施政の如何によりて、之を喰ひ止むるこ とが絶対的に不可能とは思へない。苛も其人あらば、時と与に変通の政 を施して、土崩瓦解の頽勢を禦ぐことが出来ない訳もあるまい。されど 家斉時代は、斯る重大問題には全く無関心にして、将軍家斉を中心とし て、幕閣の当局者は――其の極めて少数者を除く外は――概ね噴火山頭 の蹈舞に耽つてゐた。即ち老朽船の船頭が、昼寝をしてゐる間に、船は 風と波とのまに\/何処ともなく漂ひ去つたのだ。     * * * *      * * * * 此間の大事件と云ふ可き一は、実に大阪に於ける大塩事件だ。何人も之 を以て唯だ大勢の作用のみとは云ふを得ない。大塩事件の中心は、何と 云うても大塩平八郎其人を挙げねばならぬ。或者は大塩を以て、道学的 豪傑視し、或者は大塩の此挙を以て、興王倒覇の大運動とし、而して之 に反するものは、大塩を以て、一の妄庸子とし、一の偽道徳、偽豪傑と し、而して此の拳を以て、竪子の妄動とす。     * * * *      * * * * 予は今ま猝かに大塩其人に就て、定論を下さんとする者ではない。又た 大塩の此の挙に勿体を附けんとする者でもなく、而して又た之を以て深 き意義ある行動とも思はない。或は大塩は自惚強き強情者であり、或は 大塩の此の挙は病癇癪紛れの発作であつたかも知れない。其の人物や、 其の動機は、歴史家が必らずしも深く干預せねばならぬ問題ではあるま い。それよりも重大なる問題は、其の事件の影響だ。即ち其の社会に及 ぼしたる影響は如何。其の天下の人心に及ぼしたる感化は如何。而して 其の将来の国運の趨勢に及ぼしたる刺戟は如何。     * * * *      * * * * 事件其物から云へば、大阪に於ける大塩の焼打は、天明年間に於ける浅 間山の噴火程のことはあるまい。されど其の結果から打算すれば、此れ は重大事件だ。容易ならぬ重大事件だ。徳川幕府の鼎の軽重は、寛永の 島原一揆以来、始めて問はれた。而して天下は此挙によりて、始めて徳 川幕府の如何に腐敗してゐる乎、如何に其の内部の空虚である乎、如何 に其の与し易き乎を知つた。     * * * *      * * * * 固より事件と同時に、これが悉く暴露せられ、これが悉く感付かれ、こ れが悉く知れ渡つたとは云はない。されど誰しも此の一挙によりて、如 何に徳川幕府の自衛機関に錆がついた乎、罅が入つた乎を猜知せずして 止む能はなかつた。大塩平八郎の目的は、必らずしも徳川幕府を顛覆す るではなかつた。されど彼は其の結果に於て、幕府顛覆の急先鋒となつ た。此れは当人たる彼の本意であつた乎、不本意であつた乎、そは詮議 する迄もない。兎も角も其の成績から論ずれば、彼の直接行動は、高山、 蒲生、林子平等の言論に比して、より偉大なる直切簡明の効果を齎らし たと云はねばならぬ。然るに幕府の当局者は、果して之を以て其程の重 大事件視したる乎、否乎。     * * * *      * * * * 何物にも両面がある。旧分子の分解時期は、即ち新分子の結合時期であ る。吾人が一方に於て旧年を送ると云ふことは、他方に於て新年を迎ふ ることである。吾人は家斉の晩年に於て、幕府が既に衰兆を現し来るを 認むると同時に、維新回天の気運が、漸次に頭を擡げ来らんとするを看 過することが出来ない。銭屋五兵衛の如きは、云はゞ一種の密売買貿易 者に過ぎない。されど斯る国法上の罪人も、歴史家の眼中から見れば、 実に開国運動の急先鋒と云ふを妨げない。     * * * *      * * * * 日本は何れにしても鎖国の殻を破る可く、其の民族的元気は、漸く勃興 し、其の膨脹的精神は、漸く擡頭せられつゝあつた。但だ当局者は睡夢 昏々、起て高楼に向て暁鐘を撞くの愚に倣うた。天下何の時にか先覚者 無からむ。然も其の先覚者は、草沢の貧学者にあらざれば、山野の浮浪 人に過ぎず、廟堂に崇論高議する徒輩は、概ね走肉行屍のみ。     * * * *      * * * * 謂ふ勿れ、覇府全盛を極めて、勤王の気振はずと。勤王有志の凱歌たる 頼山陽の日本外史と勤王志士の福音書たる日本政記とは、亦た是れ家斉 時代の産物たるに気附かずや。     * * * *      * * * *

    昭和三年二月十六日、日本開国以来、最初の普通選挙法による総選 挙正に酣なるの際、東京市京橋加賀町 国民新聞社社長室に於て                     蘇 峰 学 人

   
  


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