Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.8.24

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「洗心洞通信 27」

大塩研究 第33号』1993.9 より

◇禁転載◇

 

◇大塩平八郎生誕二百年記念特別展

 大塩平八郎生誕二百年記念として、リバティ・おおさか(大阪人権歴史資料館)と本会の共催で、九三年三月二日から五月十五日まで大阪市浪速区のリバティ・おおさかで特別展が開かれた。本会としてはこの行事の会場設定に苦慮していたが、ピース・おおさかの岡本知明館長のご協力をえて、リバティ・おおさかで同館の全面的な支援のもと長期にわたる展示を実現することができた。

 展示史料は、静岡県韮山の江川文庫の「大塩平八郎建議書」や国立史料館の「大塩平八郎一件吟味書留」をはじめ主に初めて一般公開された注目すべきものが多く、公的機関はリバティ・おおさかの今井健嗣学芸部長の奔走による借出し、個人所蔵者には本会委員らを中心とした借出しでとりくんだ。スペースの狭いきらいはあったが、大砲や大塩愛刀など親しみやすいものももりこんで多くの観客を迎え、主要マスコミも独自の企画でこの特別展を報じた。

 平戸の松浦史料博物館の「甲子夜話」や東京大学史料編纂所・国立国会図書館の貴重史料のほか、地元大阪城天守閣・大阪市立博物館・大塩門人関係者など数多くの方々のご協力を仰いだ。ここに厚く御礼申し上げたい。詳細は図録『大塩平八郎と民衆』(本会取扱い千二百円)の図・解説およぴ協力者名などを御覧下さい。

 この期間、三月十三日と四月十日の二回にわたって、同館で文化フォーラムが開催された。フォーラム(1)は、「検証『大塩の乱」」として森安彦(国文学研究資料館史料館教授)、仲田正之(静両県立三島北高校教諭)・相蘇一弘(大阪市立博物館学芸課長)・臼井寿光(西播地域皮多村文書研究会代表)の四氏が報告し、薮田貫氏(関西大学教授)の司会で討論し、さらにフロアーからは今井リバティ・おおさか学芸部長の司会で意見を求めた。会場満席で立見もでるくらいで、百名をゆうに超える出席者で、会場は熱気に包まれた。フロアーから出された意見は、大塩平八郎の風貌・森鴎外の『大塩平八郎』論、決起破陣後の第二段階の構想やいわゆる三大功績など、市民サイドでの関心を示す内容であった。

 フォーラム(2)は、青木美智男氏(日本福祉大学教授)の「世直しと兵乱−天保期の社会と民衆−」と題する講演で、大塩研究をその時代像・大坂のかかえる問題点をふくめた総括的なまとめで、乱の全貌を明らかにした。参加者七十〜八十名であった。フロアーから、乱当峙の大塩勢と鎮圧側人数、大塩の決起のねらい、民衆の反権力思想と生活実態・教科書における大塩のとり扱い(家永訴訟とからんで)などの質問が出された。  この二回のフォーラムは、本会にとってもいままでの研究の到達点をふりかえり、新しい分析の必要を感じさせるものであった。

◇研究会総会と記念パーティ

 九三年三月二十七日、成正寺において恒例の大塩中斎父子並ぴに関係者の法要が有光有信師の回向で厳修され、展墓の後、酒井一氏の「大塩平八郎をめぐる人たち−時代と決起を考える−」の講演があった。

 氏は大塩生誕二百年を迎えて近年の研究成果をふくめて、乱が時代を画する意味を考え、大塩をめぐる人物論ととくに文政期を天保の前史として改めて分析する必要をのベ、般若寺村忠兵衛弟の門真三番村利右衛門一件、中島三佳氏が紹介した大枝村九兵衛一件などをとり上げた。また公的記録のかげに秘められた門人関係者の女性子どもにも光をあてること、関係者の逃亡ルートと寺社参詣道の関連など、民衆の場から乱を見直すことに触れた。

 その後研究会総会に入り、九二年度会計報告(久保氏)・監査報告(大和氏)・会務報告・新年度活動方針の提案(会誌特集、檄文復刻、ビデオ製作、史料集計画、例会予定など)を行ない、委員を改選した。

また関係者子孫の紹介(政野・白井・深尾・政埜・角新の各氏)もあり、小西・山本・志村・大島の各氏も自家にまつわる歴史を紹介された。 出席者計六十四名。

 このあと、会場を国道一号線阪神高速守口線の西にあるホテルくれべに移し、生誕二百年パーティを開いた。参加者全員がそれぞれ発言し、情報を交換し親睦を深め、会の発展、大塩研究の新しい展開を期した。松江・金沢・松山・静岡県など遠方の出席者もあり、大塩への関心のひろがりを改めて認識させられた。出席者計三十六名。

◇訃報

 謹んで会員の訃報をおしらせし、哀悼の意を表します。

津田秀夫氏
 前関西大学教授・元東京教育大学教授・文学博士。津田秀夫氏は、九二年一一月一五日東京で逝去された。享年七四歳。大阪今宮の生まれで、戦後大阪府下の庶民資料の発掘調査にいち早くとりくみ、大阪学芸大勤務時代は「寧処に遑あらず」といった観があり、どこへ調査に行ってもすでに同氏の足跡があり、いつも「後塵を拝する」思いがあった。東京教育大学勤務時代にはさらに幅広く活躍され、幾多の人材を育て相次いで著作を出版された。筑渡大学創設にともなう東教大移転問題や史料保存にも民主主義者としての足跡を残された。ざっくばらんな人柄で多くの人に親しまれた。地元関西大学へ戻られてからは、大阪市史の編集などにもつとめられ、学術会議議員として同会議や歴史学会の民主的発展に尽力された。

小林 茂氏
 名古屋大学教授・部落解放研究所名誉理事・文学博士。小林茂氏は、九三年八月二二日逝去、享年七八歳。津田氏の大学の先輩でともに戦後農村史料の精査で知られ、すぐれた民衆史の数々を遺された。大塩事件についても村方の史料からいち早く民衆運動の目で分析された。晩年は部落問題の歴史的研究に精力的に取り組まれた。豊中市史をはじめ新修大阪市史にいたるまで地域史の編集に当られた。大阪人らしい親しみのある学者であった。


 ここ数年のうちに、岡本良一・森杉夫の二氏とともに津田・小林両氏と、日本近世史研究の巨星を失い、本会としても蔭の支えになっていただいた方々ヘの惜別の念に堪えない。


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