金剛経の偈に曰く、如夢幻泡影如露亦如雷と、実や、人間世の常なきこと生死流
転、栄枯盛衰、昨日の事は今日の夢なり、今日の事は又明日の幻にして飛鳥川の
淵瀬も亦たゞならず、
去程に西村の妻菊枝は最初死を決せし志の今更変りしにはあらねども、彼八軒屋
の酒商酒屋方より、密に良人の伝語なりとて、仮令某如何なる事に成行くとも、
決して自害するなど軽率の挙動ある可からず、只官庁より罪科の沙汰あるを待て、
謹て其命に伏し、万一にも阿嬢を初め三人の小児等迄命を全うする事あらば、能
孟母が三遷の心術を守て、常五郎、健三郎の両人には文武の道、雪江にハ筆道裁
縫の業を教授て、必父なし子とて人に侮られぬやう、心して養育たまへと、最懇
なる遺訓のありしかば、今は姿に一命を捨る事も得ならす、又熟々思惟るに、今
死しなば一身の操を尽すに止て、三人の小児の為に如何にも不慈の親なり、然し
て三人の小児等が文盲不知の者のみ出来なば、単に不慈の親のみならずして、取
りも直さず亡夫に対して妻たるの義務を尽せるものならねば、操を全うせるもの
とハ言難し、此上は飽迄遺訓を守りて、三人の小児等を養育するこそ身の勤なれ
と、雄々しくも心を定め、三人の小児を養育して、乳母のおかねを力草に、果敢
なき日月を送りしが、天としも比ふなる、良人には蚤に捨られ、身の行末を頼む
なる二人の男子ハ、十五になるを期として遠き島根に流さるゝ事に定りあれバ、
流石に心細さの限なく、常に鬱々としてのみ暮し居りぬ、
世の諺に曰く、病ハ気より成ると、菊枝は夫を恋ひ、子を思ふ心の憂ひの積り/\
てや、其年の七月頃より遂に癆咳といふ病さへ惹起して、兎角に心地の爽快なら
ねバ、一月の中半分は床に臥し居る程なるを、おかねハ最甲斐/゛\しく、菊枝
に成変て三人の小児の世話より菊枝の介抱迄、己が単身に担任け、夜の目も碌々
寝らぬ迄、直実を尽し居たりける、
下世話に人の悪きものを数ふるに、先馬方船頭お乳の人と其第一に置かるゝ乳母
奉公する者にして、此おかねの如きあるは、健気にも亦殊勝の事と云ふべし、
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