Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.2.14

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なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その21
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第8号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第8回(3)管理人註
  

健三郎は流石にも、男の子とて大人しく、兄様の仰に随ひ、明日よりは頑囂を止 て、能く母公のお言を守り、伯父様の処へ御稽古にも毎夜欠さす通ひますれバ、 決してお心支を遊ばされぬやう、頓て私もお傍へ参ります故、夫迄の問、お淋し く共お待成されて下され、といふも涙のおろ/\声、 常太郎ハ両人の返辞を聞て打点き、頓ておかねの方に膝押向け、乳母よ是迄永の 月日の其間、一方ならぬ世話に成しか、其恩義をも報はずして、明日は遠方へ行 かねば成らぬ事とはなりたり、遺憾は山々ながら、是も亦公庁の法律なれば詮方 もなし、此後母公を始め、二人の弟妹の介抱を偏に頼む、と言を懸られ、乳母の おかねは、先程より親子兄弟が別を告る言を聞て、其心中を想像り、涙にくれて 居たりしに、今又常太郎に此計り優き言を懸られて、何と答もつぞ引くうなうふ しまけ泣計り、勿態なやも口の中、斯る一家の哀別離苦、見るにつけ、又聞くに つけ、腸を断つ一座の人々、一河の流堰、あへぬ涙の時雨、木の間一漏、一樹の 蔭の雨宿り、濡ぬ袖こそなかりけり、 斯て其翌日の朝来きより、心なき村役人の、親子が離別の悲哀も知らず顔にて出 来り、最早時刻に程近ければ、早疾々と催促すにぞ、                          はれこそで 菊枝は是非なく、常太郎に父の紀念の紋附を仕立直せし曠小袖、今日の為とて貯 置きしを取出て、頓て着替へさせ、袴羽織も美麗に粧飾せつゝ、いざと計り今は 中々断念て、互に言の数もなく、只恙なくをはせよ、と言ひつ謂はれつ、親子兄 弟、主も隷来も、哀別の涙を胸に飲込て、頓て袂を分ちけり、 今日別れ、明日はあふミの夫さへも、命だに心に恊ふものならば、など言出て、 互に袂を絞るは離別の常なるに、况て百里の海山を、隔つと遠き島根に流されの、 何日を逢瀬とも定めなき、親子兄弟の哀別離苦、心の中や如何ならん、懸れとい ふも中々愚なれ」 此処は新町の南通り一丁目にて、表には大安と表記せし、行燈を掛けたる席貸業 店には、抱の芸妓の誰彼つれ/\慰む連弾の歌ふ唱歌も浪枕「さつきまつ、はな 橘のかつよばな、みるに心はふかみくさ、深き思ひのうさつらさ、色にださじと 忍ぶ、かひなきいよみちの、くのつぼの石ぶみ、かくぞとも岩根の山のいはつゝ じ、いはねどひとの恋ひしきものと、うらみながらも日を送る、さても此身はあ るものか、しんぞつれなき/\命かな」 奥の小間には此家の乳母が、幼児を傍に寝させて、己れは柱に身を凭せつゝ、弾 く三味線に耳傾け、暫時聞惚居たりける


   
 


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