偖もおかねハ、吾子のやうに思召る健三郎が、今日しも遠き島根に流さるゝと聞
しより、今は身も世もあらがねの土ハ踏めども、村肝の心空なる思ひにて、忠助
男の跡に引添ひ、本町橋迄来りしに、健三郎を護衛の小吏ハ、忠助の返りの遅を
待詫びつ、本舩へ乗込む時刻もあればとて、今方出舩せし跡なりしかば、忠助ハ
更なり、おかねハ、就中遺恨に耐兼、仮令お言は賜はらずとも、責てお顔の一目
なりと拝み参らせたかりしに、遅かりし事の悔しや、と浜手の石垣の上に打臥て、
生体もなく泣入るを、外の流罪人を見送の為に来りし人々が、傍観に耐兼、左迄
に逢度けれバ、今より安治川迄馳行き、其流人が本舩へ乗込む処にて、面会を遂
げ玉へ、と心を添へられて、実に尤もと大に喜び、夫より両人にて宙を飛で、安
治川口まで駈附けしが、折しもあれ、健三郎には最早本舩に乗込で、今や碇を上
げんとする処なれば、両人ハ、お願ひがあります、と声を限りに叫びつゝ、通舩
にて本舩に乗寄せ、今引上げんとする碇綱に取附て、吾々共両人は、流人西村健
三郎の身寄の者にて候が、何卒お上のお慈悲とお役人方のお取計ひを以て、暫時
の間の面会をお許しあらん事を、と涙ながらに言出しに、流石心なき役人共も、
二人の真心を憐れとや思ひけん、最早出帆の刻限なれば、対面ハ協はぬ処なれど
も、格別の取計ひを以て、暫時の面会を遂げさすべし、と頓て本舩へ引上げられ
しが、忠助とおかねは、健三郎が檻の内に座り居る、見すぼらしき姿を一目見る
より、胸潰れて、若旦那様、健三郎様、忠助めで御座り升、おかねで厶り升、と
謂へば、健三郎も声ふるハし、忠助か、大儀であつた、乳母か、例も壮者で何寄
の事、吾等も愈々島へ行くに附て、一目逢て長の年月介抱されし鞠育の恩を謝し、
兼てハ暇乞も述べたさに、忠助を頼て呼びにやり、しに、早速の出張、誠に恭け
なう存ずる、
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