一旦の法律にて、此ハ遠流に処せらるゝも、只重罪人の子と云ふのみにて、吾身
に犯せる罪あるにあらねば、頓てお上のお慈悲を以て、青天白日の身となるハ必
定なれバ、夫迄の間、堅固に身を持て、吾帰を待てよ、夫迄の記念に、何歟遣ハ
したくは思へども、此身に成てハ、今更如何とも為術なければ、切て是を遣ハす
程に、吾身と思て居てたもれ、と予て用意やしたりけん、西行法師が、さりとも
と、又逢ふことを頼むかな、の和歌を認めたる懐紙を取出して、いざと計りに差
出すを、おかねハやをら請戴き、幾枚の小金、幾重の衣装を賜りたるそれよりも、
是に増したる御紀念ハ候ハず、と計にてその懐紙を顔に押当て、又もやよゝと泣
伏したり、
暫時ありて、おかねハ涙の顔を漸々擡げ、袂より伏見人形二箇を取出して、檻の
中へ差入れ、此人形ハ、此程好便のありし折、只今乳母が乳を上る、おなると云
ふ子の翫弄にと、買ふて貰ひしものなれども、和子様の御遠流と承り、心計りの
御餞儀に、主人に断り持参致しました、此清正公の御人形ハ、彼方様の御身の此
御神儀の如く、何日も御壮健に、又此御神儀の朝鮮征伐とやらんに、限りなき御
艱難遊バされしも、終にハ目出度御凱陣ありし如く、一日も早く恙なく御帰阪あ
るやう、御先途を祝ひ参らする妾の寸志、又此姥の人形ハ、妾何処の浦、何処の
島迄もおん伴申して、お傍に御奉公いたしたくハ思ひ侍れど、法律の許さぬ処と
あれば、拠なく妾の参る代物として参らすれハ、憚ながら妾とも見なし給ひて、
朝夕御言をも賜り候へ、と云へば、健三郎ハ其人形を取揚て押戴き、乳母が心を
籠めたる餞誼の一品、忝なう受納いたす、清正公にハ、本朝無双の英雄、死後に
も尚霊ありて、祈るに必ず効あり、と承れバ、朝夕此人形を礼拝して吾身の行末
ハ更なり、
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