Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.2.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その25
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第10号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第10回(2)管理人註
  

一旦の法律にて、此ハ遠流に処せらるゝも、只重罪人の子と云ふのみにて、吾身 に犯せる罪あるにあらねば、頓てお上のお慈悲を以て、青天白日の身となるハ必 定なれバ、夫迄の間、堅固に身を持て、吾帰を待てよ、夫迄の記念に、何歟遣ハ したくは思へども、此身に成てハ、今更如何とも為術なければ、切て是を遣ハす 程に、吾身と思て居てたもれ、と予て用意やしたりけん、西行法師が、さりとも と、又逢ふことを頼むかな、の和歌を認めたる懐紙を取出して、いざと計りに差 出すを、おかねハやをら請戴き、幾枚の小金、幾重の衣装を賜りたるそれよりも、 是に増したる御紀念ハ候ハず、と計にてその懐紙を顔に押当て、又もやよゝと泣 伏したり、 暫時ありて、おかねハ涙の顔を漸々擡げ、袂より伏見人形二箇を取出して、檻の 中へ差入れ、此人形ハ、此程好便のありし折、只今乳母が乳を上る、おなると云 ふ子の翫弄にと、買ふて貰ひしものなれども、和子様の御遠流と承り、心計りの 御餞儀に、主人に断り持参致しました、此清正公の御人形ハ、彼方様の御身の此 御神儀の如く、何日も御壮健に、又此御神儀の朝鮮征伐とやらんに、限りなき御 艱難遊バされしも、終にハ目出度御凱陣ありし如く、一日も早く恙なく御帰阪あ るやう、御先途を祝ひ参らする妾の寸志、又此姥の人形ハ、妾何処の浦、何処の 島迄もおん伴申して、お傍に御奉公いたしたくハ思ひ侍れど、法律の許さぬ処と あれば、拠なく妾の参る代物として参らすれハ、憚ながら妾とも見なし給ひて、 朝夕御言をも賜り候へ、と云へば、健三郎ハ其人形を取揚て押戴き、乳母が心を 籠めたる餞誼の一品、忝なう受納いたす、清正公にハ、本朝無双の英雄、死後に も尚霊ありて、祈るに必ず効あり、と承れバ、朝夕此人形を礼拝して吾身の行末 ハ更なり、


   


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