偖もおかねハ、ほの/゛\、明石の浦の朝霧に、島かくれゆく舩ならで、身にも
換てと、最愛む健三郎を載せて行く、舩をば惜しと真沙地に、半時余立尽せしが、
漕行く舩の習にて、跡白波となりしかば、おかねも今ハ漸々思明めて、忠助の誘
ふ随意、新町なる大安に立帰り、忠助にハ心計の饗応をなして、菊枝に不沙汰を
謝び、且ハ常太郎様さへあるに、今又健三郎様にお別れ遊ばされし御心の中の悲
み如何ならん、想像るさへ御傷ハし、抔一通の文を認め、之を托して別れける、
去程に、おかねは其後此大安に身を落着け、娘のおなかを大切に保護く計りか、
内外の事に能く心を用ゐて、下女代の働をも為し、兼て抱の芸娼妓の世話迄何呉
となく勤めしかば、大安の主ハ更なり、家内の人々、誰彼となくおかねを二なき
者に思ひ、仙台萩の政岡に彷彿たる賢女なりと言囃しけるが、果ハ誰もおかねと
実名のみを呼ぶ者とてハなく、皆、政岡のおかねどの、なん言ひけるとぞ、其志
の優れたる想ふべし、
閑話休題、此て光陰に関守なく、今日と送り、昨日と過す夢の間に、早くも十余
年の星霜を経て、おかねが保護てしおなかハ、頓て二八の春をぞ迎へける、
素より桃顔霧に綻び、柳髪風に乱るゝなど、形容すべき程の姿色にも非ねど、名
おふ三都第一の花街と呼ばるゝ新町の、廓内なる娼家に産れ、芸娼妓の中にて教
成し事なれぱ、自然と渋皮の脱けて、素人屋の嬢様の、美人と呼ばるゝ者よりハ、
遥に優れて艶麗く見知るにぞ、
同廓内なる同業の家の息子等は云ふに及ばす、舩場中にて何屋何兵衛と謂ハるゝ
立波な商人の若旦那の中にも、密に想を懸て、嫁にせん、妾にせんなど言入るゝ
者数多あれども、おなかの母親おかつ(父安兵衛ハ前年死去せりと)は、此る商
売をするにハ珍らしき物堅き質の女なれば、おなかハ長女なれバ、婿養子を貰ハ
ねハ成らぬ身の上故、仮令如何程の分限にても縁附る事ハ出来す、況て人の妾に
する事などハ思も依らずと計言張て、金銭にハ少しも眼を眩れず、横堀新一橋の
北詰なる染物商田中某の手代安兵衛といふ者ハ、若年にハ稀しく、実貞なる者な
り、と云ふ事を去方より聞及びて、或人を媒酌に頼み、おなかの十七の年の春、
婿に貰ひしが、夫婦の交際も極めて睦く、其翌年、幸治郎と云ふ子迄設けしかば、
おかつの喜びハ更なり
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