乳母のおかねも、此てこそお養育申せし甲斐ありとて、涙落す迄打喜びしとなん、
此ておかつハ良人安兵衛に別れしより、女の手一つにて、多くの芸娼妓の取締、
又家の活計の融通抔と何歟に心を悩せしが、本年に至りて漸々娘おなるに婿に貰
ひしに、夫婦の中も幸ひに睦じく、早くも初孫の顔をも見し事なれば、マヅ是で
安心と、始て多年張詰めし気の弛緩みの生ぜし所より、不図病に罹り、夫が根に
なりて、遂に彼世へこそバ旅立ちける、
おなるハ元よりおなるの妹のおふく、乳母のおかね迄宛がら盲人の杖に離れし思
ひにて、日々泣暮す愁傷悲嘆、婿安兵衛も養母の死去せし事なれば、皮相ハ共々
愁に沈む風にもてなせども、其内心ハ、目の上の瘤に等しき母親の、なくなりし
上からハ、最早恐しき者ハなし、此上ハ此家の物とてバ、竈の下の灰迚も吾意の
儘なりと、心の裡に密に喜びけり、
帰る娼妓に出る娼妓、夜バ賑ハしき娼家なれど、昼ハ淋しき大安の奥の一間に、
女房おなる片手に癪を押へながら、ノウおかね、夕辺から旦那もお帰りなさらず、
又内の小浪も程らいを売て、今だに戻て来ないが、例の処て、又相引をして居る
に違ひハない、妾だつて、素人屋の女房のやうに、何も無暗に焼餅を焼くのでハ
ないが、外の家の者ならば兎も角、家の抱への芸娼妓に猥らな事があつてハ、取
締が出来ず、取締が出来なけれハ、自然家の経済の障りにも成るからと思ふて、
此間から度々御意見を申すけれども、少しもお聞入ハない計りか、妾が只吝気嫉
妬て計り、彼是云ふやうに思ふてお居でるのが、誠に遺恨うてならぬが、妾の実
意の通つて、彼妓の事計思切て戴くやうには行くまいか、
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