お前の智慧で何と歟好い分別を貸してお呉れ、など謂はれて、おかねは打点頭き、
彼方の仰しやる迄もなく、此乳母も、此間より彼方様の御心配と、お家の取締と
案じ申して、時々旦那様に御異見を申し升ても、世の比喩にいふ馬の耳に念仏と
やら、豆腐に釘を打つ程の利目もない故、実ハ彼是御心配を申して居る処なれど、
旦那様とて素より御賢明にて入らせられ、妾し抔の申上る位の事ハ、百も二百も
御合点の上、殊に彼方様、幸治郎様、おかう様と云ふお二人のお子様さへある事
なれバ、別段のお心得違もあるまじく、若此上何歟御不都合のある時は、お袋様
が御最後の際に臨て、妾の目を瞑りし後ハ、妾に成変て、おなると安兵衛の介抱
を頼む、と仰せられし難有き御遺言もあれば、及ばずながら此乳母が、旦那様へ
御異見の仕様もあります故、彼方様にハ先々御心配なく、其上お癪も募るといけ
ませんから、成丈気を緩大にお持なされませ、旦那様の少しお迷の覚めかゝつた
時を窺ふて、此乳母から彼方の思召の通る様、細にお話し申しましやう、
いふ折柄、幸治郎とおこうが連立て寺子屋より帰来り、ハイ御母アさん、お昼に
帰りました、ト謂ハれて、二人ハ顔見合はせ、オヤ最正午歟、
昨夜からの流連に、女も男も少し疲労を覚えしにや、男ハ柱に凭れて、三味線の
爪弾、「粋な浮世を恋故に、野暮に暮すも心からと」、小声で唄ふ其膝に、女は
凭れて顔打詠め、暫時惚居たりしが、やがテ若安さんでハない、兄さん、昨夜か
ら此して楽で居て、妾ハ嬉いけれども、内では姉さんが、サゾ角を出してお居で
なさるだらうと思ふと、恐くなりますハ、ト云へば、男も三味線を下にに置て、
ヲヤ小浪、大層優い事を云ふなア、其様事を云ふと、天井で鼠が笑ふぜ、といふ
途炭に、天井でゴト/\/\、オヤ噂をすれハ影とやらだ、然し昼間鼠が騒ぐと
は、物騒な家だぜ、折柄正午の号砲ヅドン
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