内より肴を取寄て、誰憚らぬ小酒宴、人の物をば吾物顔に、妾宅模擬で洒落て居るを、
おなるハもとより温良き質故、若し此事が旦那に知れたら、夫こそ良人のお身の上、
もしや知れずに居た迚も、悪事ハ元より悪事なれバと、おかねと共々心を傷め、度々
意見を加ふるをバ、例の嫉妬と悪く取りて、其度毎に悪口雑言、果ハ殴撃打擲にさへ
及ぶにぞ、
おなるハ之を悪き事に思ふの余り、遂に持病の癪より心経病を起して、重き枕に伏、
柴の凝る計りなる悲嘆の体を、安兵衛ハ他に見て、隙さへあれバ小浪の家にのみ入浸
りて、只一日、片時の介抱ハ偖置き、今日ハ如何だ、少しハ宜いか、といふ一言の優
しい言だに懸けねバ、おなるハ愈々愁に沈み、日に/\病勢の募る計りなると、おか
ねハ一人不便に思ふて、彼西村の菊枝の看護し如く、昼夜の差別なく傍らに附添ひ、
彼方の御病気ハ心経病とかいふものなるよし、お医者様の御見立なれじ何も彼もお忘
れなされて、気をうき/\とお持なされ、抔懇に言、慰の心の限り介抱せしハ、例も
ながらの志操いと、殊勝なる事なりかし、
梅ケ枝さん、お前へおなるさんの処へ病気見舞においでか、オヤ房吉さん、妾ハ未だ
行ませんが、お前ハ最おいでだの、
イヽエ妾も未だ行かないが、大層様子が悪いさうだね、
ハア、最今日明日だといふ事だが、誠に可愛想だねへ、アンナ温和しい人ハ青楼の姉
さんにハ珍しい、夫に附ても憎らしいのハ安兵衛さん、彼処の家の息子さんでも、在
事か、養子の身分で在乍、家附の娘に散々辛く当り、有う事か有まい事歟、内の抱へ
の小浪さんとオツナ中に成て居のだとね、居のだ処か、布長の旦那を甘く胡魔かして、
自分の内の長家に小浪さんを入てをき、旦那の来ない間を見てハ、好な真似を仕て居
るので、おなるさんの病気も、全く夫から起つたのだと云ふ噂だが、小浪さんも余り
な仕打、自分の親方と一ツに成て、旦那の目を掠め、親方のおかみさんに病気を起さ
せるとハ、チツト技倆があり過るでハないか、
|