Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.3.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その33
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第12号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第12回(4)管理人註
  

此ておなるハ、其夜、忰幸次郎、娘かうと、乳母おかねと枕上に呼、近附け、幸次郎、 娘かうハ、おかねを此母と思ふて、又おかねハ、吾身に成替て、二人が生先を見届て よ、と只一言を此世の名残にて、遂に果敢なく成しは、今より五年以前、明治十一年 の秋の末、花壇の菊の霜に衰へ、砌の虫の露に咽ぶ比にてありき、 偖も小浪ハ、おなるが一言の怨に胸を衝れて、吾家へ帰り、頻に心経を悩す折しも、 其夜又おなるハ遂に冥土の人となりしと聞て、愈々心地悪しく、今更是迄の身の非を 知て、おなるの思ひの空恐ろしく、今日も明日も打かつぎて床に就き、鬱々としての み暮し居しが、果ハ心経疾を惹起して、折々夢現の間に、おなるの姿の目先に現れ、 御気を見舞し其折に、ヂツト眦みしと。少しも、違ハぬ顔色にて、其身を眦む事のあ るにぞ、倍々病の募り行くのみか、俗に云ふ白血長血とか云ふ下部の病にさへ罹りし に、布長の旦那ハ、殆ど愛想をつかし、殊に安兵衛と訳ある事をも聞知しかバ、遂に 手切と成り、又安兵衛も小浪が長の煩ひにてありし色香も失果しに、愛想をつかし、 少しも搆ハねバ、今ハ其日も送兼て、有合ふ家財を売却なしつ、松島なる去る縁類に 身を寄て、見る影もなき様にて其日を送りしが、遂に其病の癒兼て、去年の春の始め、 冥土黄泉の客となりしと歟、 隠悪の応報、恐る可し、慎む可し

   
 


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