此ておなるハ、其夜、忰幸次郎、娘かうと、乳母おかねと枕上に呼、近附け、幸次郎、
娘かうハ、おかねを此母と思ふて、又おかねハ、吾身に成替て、二人が生先を見届て
よ、と只一言を此世の名残にて、遂に果敢なく成しは、今より五年以前、明治十一年
の秋の末、花壇の菊の霜に衰へ、砌の虫の露に咽ぶ比にてありき、
偖も小浪ハ、おなるが一言の怨に胸を衝れて、吾家へ帰り、頻に心経を悩す折しも、
其夜又おなるハ遂に冥土の人となりしと聞て、愈々心地悪しく、今更是迄の身の非を
知て、おなるの思ひの空恐ろしく、今日も明日も打かつぎて床に就き、鬱々としての
み暮し居しが、果ハ心経疾を惹起して、折々夢現の間に、おなるの姿の目先に現れ、
御気を見舞し其折に、ヂツト眦みしと。少しも、違ハぬ顔色にて、其身を眦む事のあ
るにぞ、倍々病の募り行くのみか、俗に云ふ白血長血とか云ふ下部の病にさへ罹りし
に、布長の旦那ハ、殆ど愛想をつかし、殊に安兵衛と訳ある事をも聞知しかバ、遂に
手切と成り、又安兵衛も小浪が長の煩ひにてありし色香も失果しに、愛想をつかし、
少しも搆ハねバ、今ハ其日も送兼て、有合ふ家財を売却なしつ、松島なる去る縁類に
身を寄て、見る影もなき様にて其日を送りしが、遂に其病の癒兼て、去年の春の始め、
冥土黄泉の客となりしと歟、
隠悪の応報、恐る可し、慎む可し
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