Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.3.28

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その35
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第13号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第13回(2)管理人註
  

気臆して居る丈を語れかし、など其余種々の物語をさせしに、世に稀なる才子なれバ、 弥五平ハ愈々不便の者に思ひ、心の限り慰撫りける、 斯て海上恙なく其月の廿九日の朝亦明に、肥前国五島の浦にぞ着にける、 柳も五島の規則にて、流人あれバ、一村の庄屋に一人宛を輪渡すことなるが、爰に該 島の吉田村に金正と云ふ人ありけり、元ハうち日さす京都六條の辺なる、或る浄土寺 の住持にて、鶴の林の茂きを分き、鷲の嶺の高きを仰ぎて、出離生死の要道を修し、 道心堅固の聖僧なりけり、 然るに年尚三十に足らぬ程にて、未だ肉体の欲の全く去りやらねバ、一日不図一椀の 盤若湯に浮されて、祇園の花に遊びしが、坐に連なる絃妓舞妓の、美にして艶なるハ、 天女の天降り、歌舞の菩薩の来迎するかと怪まれ、盤に堆き水陸の佳青ハ、百味の飲 食にも弥増るべく、瓶に溢るゝの美酒は甘露、醍醐もかくやと思ふ計り、其余家居の 壮観なる調度の綺麗なる生活ながら、極楽浄土に至りて天堂の快楽を受るに思ならね バ、爰に始めて温柔郷裏の楽み、花柳社会の興を知て、其後ハ道心日に微に、人心日 に危に陥りて、果ハ御仏に向へば、絃妓舞妓の面影の目に浮び、鉦木魚の響ハ、琴三 絃の声に聞なさるゝやうなり、一日片時も寺にハ心の落着かで、夜となく日となく、 祇園の其楼にのみ流連なしつゝ、吾吉水の僧正すら松と時雨の染兼ねて、まくづが原 に風さわぐとハ仰せられしものと、況て学行両ながら未熟なる全正如き者の、聊か酒 色に惑溺るゝとも、三世の諸仏も黙許したまハなん、抔吾身勝手なる道理を附て、今 ハ何故に世をば背きしと、折々吾墨染の姿に惚る心もなくなり、寺務法要、両ながら 放擲て、只管遊興にのみ心を奪はれしが、遂に此事其筋に聞えて、破戒の罪を糺され、 遠嶋の処刑を蒙りて、前年此島へ漂流されしなり、













出離生死
(しゅつり
しょうじ)
悟りを開いて
生死の苦海か
ら脱すること













温柔郷
遊里、花柳界


「浪華異聞 大潮余談」目次/その34/その36

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ