此人、吾本業の仏学ハ更にも謂ハず、風流の道にも志深く、和歌を詠み、茶事を嗜み、
囲碁を好み、就中庭造の業に巧みなれば、此島に来りしより、五島侯の御庭方を命ぜ
られ、流人ながらも藩士同様の御扶持を賜りて居り、時としてハ君侯の前に召されて、
和歌、或ハ茶の湯の相伴など仰付られ、何不足なく暮し居りしが、大塩平八郎の加担
人なる西村利三郎の二男、健三郎といふ少年が父の罪に依りて這回此島に来りしが、
極て美童にて、殊に才子なりといふ噂を聞て、利三郎相識ならねど、其師なる大塩後
素とハ両三回、文字の飲をなしたる因縁もあれば、其健三郎をば吾方に預りて遣らん
ものと、頓て其筋へ此事を願出しが、殊勝の事なりとて、疾に願の旨聞届けくれしに
ぞ、
健三郎ハ庄屋に預けらるゝ代りに、此金正が許に預けらる、
金正ハ今ハ五十の阪を越えし身の、深く前年の非を知て、痛く身の品行を改め、殿よ
り給ハる扶持方の余れるをバ、流人共に分与へ、其貧困を救ひ、又寸暇ある毎に流人
の子弟を集めて、読書習字を教ゆるなど、慈善の業のみ行ひ居る程なれば、健三郎を
も深く愍み、読書算筆の道をも授けしが、健三郎ハ家に在るの日、夫等の業をバ伯父
の某に就て学びし上に、元より一を聞て十を知るの才あれば、金正の教ゆるまに/\、
其業に通暁するにぞ、
金正ハ其才器に愛するの余り、宛然吾子の想ひをなして、衣食の事を始め何呉となく、
心の及ぶ限り介抱せしバ、健三郎の身に取りて如何計か嬉しかりけん、
地獄にて仏陀に逢ひ参らせ、黒白も分かぬ暗の夜に、灯火を得し心地せしなる可し、
不幸中の幸ひとハ、かゝる事をやいふべき
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