Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.4.9

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その38
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第14号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第14回(2)管理人註
  

可惜、少年を庭作を致させるは真に不便の至りなれバ、藩士にも召抱へて取す可きな れども、流人を召抱へるは公儀の法度なれバ、責て役所の書記に雇入んと、直に雇書 記に召出して、士分同様の扶持方をぞ賜りける、 健三郎は、金正と云ふ知己に遭遇して、厚恩を受る其上に、五島侯にも此る愛顧を蒙 りしかば、愈々足はぬ事なき身の上とはなりしが、是に附いても、故郷に在します母 上に、妹は如何にして其日を送り居にや、隠岐の国におはする兄上にハ、我身とは反 対にて、定めて島守長に辛き目に逢ひ賜ひて、喩へ申すもおふけなけれど、御鳥羽の 法皇が、あらき波風、心して吹け、とのたりひし、夫には尚いや勝る艱難を受け給ふ らん、など時に触れ、折に逢ては親兄弟の事を思出し、故郷有母秋風涙、と白氏の詩 を吟じてハ、孤灯の下に夜雨の声を聴き、沖の小島に吾はありとも、康頼の歌を詠じ ては、独り浜辺に立尽して、八重の潮風に涙の面を洒す事もありしとか、孝子の心情、 おもひさへ憐れなり、 爰に又利三郎の後家菊枝ハ、夫に別れ、二人の子も離れ、今ハ只娘の雪江一人を心な ぐさめ、友として、果敢なき月日を送り居りしが、其年頃、数回の転変に逢ひ、多少 の艱難を経しかハ、此世を夢と漸く悟りて、髪を切り、衣を更て烏婆姨の姿と成り、 且暮御仏に打向て経を読み、呪を誦する外他事なく、只管良人の追善と吾子の安寧を のみ祈り居りける、 去る程に西村家の親類誰彼ハ、菊枝、雪江が無聊き身の上を、世にも不便のものに思 ひ、二人の男子ハ、遠き嶋根に流浪の身にて、何日を赦免といふ限りもなけれは、只 此世にありといふ計ふて、彼世の人に斉しかるに、さる者を頼にして、何日迄此して 居らんも、便宜なき業なればとて、一家内なる何某の忰にて、才学品行、共に全き者 を選みて、雪江に嫁せ、西村の家名を相続させにしぞ、

白氏
白楽天


康頼
平 康頼、
平安時代の武士、
官位は六位・左衛
門大尉、
後白河法皇の近習



























「浪華異聞 大潮余談」目次/その37/その39

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ