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可惜、少年を庭作を致させるは真に不便の至りなれバ、藩士にも召抱へて取す可きな
れども、流人を召抱へるは公儀の法度なれバ、責て役所の書記に雇入んと、直に雇書
記に召出して、士分同様の扶持方をぞ賜りける、
健三郎は、金正と云ふ知己に遭遇して、厚恩を受る其上に、五島侯にも此る愛顧を蒙
りしかば、愈々足はぬ事なき身の上とはなりしが、是に附いても、故郷に在します母
上に、妹は如何にして其日を送り居にや、隠岐の国におはする兄上にハ、我身とは反
対にて、定めて島守長に辛き目に逢ひ賜ひて、喩へ申すもおふけなけれど、御鳥羽の
法皇が、あらき波風、心して吹け、とのたりひし、夫には尚いや勝る艱難を受け給ふ
らん、など時に触れ、折に逢ては親兄弟の事を思出し、故郷有母秋風涙、と白氏の詩
を吟じてハ、孤灯の下に夜雨の声を聴き、沖の小島に吾はありとも、康頼の歌を詠じ
ては、独り浜辺に立尽して、八重の潮風に涙の面を洒す事もありしとか、孝子の心情、
おもひさへ憐れなり、
爰に又利三郎の後家菊枝ハ、夫に別れ、二人の子も離れ、今ハ只娘の雪江一人を心な
ぐさめ、友として、果敢なき月日を送り居りしが、其年頃、数回の転変に逢ひ、多少
の艱難を経しかハ、此世を夢と漸く悟りて、髪を切り、衣を更て烏婆姨の姿と成り、
且暮御仏に打向て経を読み、呪を誦する外他事なく、只管良人の追善と吾子の安寧を
のみ祈り居りける、
去る程に西村家の親類誰彼ハ、菊枝、雪江が無聊き身の上を、世にも不便のものに思
ひ、二人の男子ハ、遠き嶋根に流浪の身にて、何日を赦免といふ限りもなけれは、只
此世にありといふ計ふて、彼世の人に斉しかるに、さる者を頼にして、何日迄此して
居らんも、便宜なき業なればとて、一家内なる何某の忰にて、才学品行、共に全き者
を選みて、雪江に嫁せ、西村の家名を相続させにしぞ、
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白氏
白楽天
康頼
平 康頼、
平安時代の武士、
官位は六位・左衛
門大尉、
後白河法皇の近習
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