Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.4.10

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なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その39
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第14号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第14回(3)管理人註
  

菊枝ハ夫にて聊か安心の便宜を得つゝ、親子三人中睦じく、今日と過し、明日と送り て、二十年余の星霜をぞ経りける、 頃は慶応三年の弥生中旬、山の端ごとに白雲の掛るは、花か吾宿の庭の桜も綻びて、 人来と来なく、鶯の声さへすれバ、菊枝尼は奥の一間に座を占つ、平家物語を繙きて、 有王が島くだりの事と云ふ文段をぞ読かけゝる、 〔前略〕扨あきんど舟に乗て、件の島へ渡つて見るに、都にてかすかに伝聞しハ、事 の数ならず由もなし、里もなし、村もなし、自ら人あれど、云ふ言をも聞しらず、 〔中略〕山のかたのおぼつかなさに、はるかに分入り、峯によぢ、谷にくだれども、 白雪あとを埋んで、往来の道もさだかならず、青嵐夢を破つては、其おもかげも見え ざりけり、 山にては終に尋もあハず、海の辺いついて尋ぬるに、沙頭に印をきざむかもめ、沖の しらすに集く、浜千鳥の外ハ、跡問ふものなかりけり、 ある朝、いそのかたよりかげらうなんどの如とくに、痩衰へたる者よろほび出来り、 元は法師にて有りけりと覚えて、髪ハうらさまに生上り、万の藻屑取附て、おどろを いてゞいたるが如し、つぎめ露れて、皮ゆたい、身に着たる物ハ、きぬ布のつぎも見 えず、片手にはあらめをもち、かた手には魚をもらうてもち、歩むやうにはしけれど も、はかも行ず、よろ/\としてぞ出来る、と談さして、傍に裁縫して居る雪江と顔 見合せて、目に涙を浮め、常太郎も健三郎も、マサカ此俊寛程にもあるまじけれど、 定めて様々の辛苦を仕て居るならめ、二人共。此頃打絶て風の便の音信もあらざるハ、 若し煩ふてばし居るにあらずや、とつれ\゛/慰む為にとて読むなる文の文句さへも、 又子を忍ふ媒となる、親の心ぞ憐れなる、 雪江もさこそと思ひながら、態とさあらぬ風情にて、渡る世間に鬼はなし、とかいふ 世の諺もあるものを、兄上も弟も、人に勝れて温和き気質なれば、定て島守の官吏に も、亦島人にも愛られて、憂目を見るは偖置、なか/\心安う其日を送らるならめ、 夫に母様が日々御経読誦の功力に依て、無病息災に渡らせらるゝに疑ひなけれバ、さ る御心支は御無用に遊バさるゝやう、と言慰さむる、 其折しも表の方にて、ハイ御免下さりませ、西村菊江様のお宅ハ此方で御座り升か、 と濁声高く音信るゝ者ありけり、










有王
『平家物語』巻第3
「有王」の章
鬼界が島に一人取り
残された俊寛の
後日譚











沙頭
砂浜


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