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菊枝ハ夫にて聊か安心の便宜を得つゝ、親子三人中睦じく、今日と過し、明日と送り
て、二十年余の星霜をぞ経りける、
頃は慶応三年の弥生中旬、山の端ごとに白雲の掛るは、花か吾宿の庭の桜も綻びて、
人来と来なく、鶯の声さへすれバ、菊枝尼は奥の一間に座を占つ、平家物語を繙きて、
有王が島くだりの事と云ふ文段をぞ読かけゝる、
〔前略〕扨あきんど舟に乗て、件の島へ渡つて見るに、都にてかすかに伝聞しハ、事
の数ならず由もなし、里もなし、村もなし、自ら人あれど、云ふ言をも聞しらず、
〔中略〕山のかたのおぼつかなさに、はるかに分入り、峯によぢ、谷にくだれども、
白雪あとを埋んで、往来の道もさだかならず、青嵐夢を破つては、其おもかげも見え
ざりけり、
山にては終に尋もあハず、海の辺いついて尋ぬるに、沙頭に印をきざむかもめ、沖の
しらすに集く、浜千鳥の外ハ、跡問ふものなかりけり、
ある朝、いそのかたよりかげらうなんどの如とくに、痩衰へたる者よろほび出来り、
元は法師にて有りけりと覚えて、髪ハうらさまに生上り、万の藻屑取附て、おどろを
いてゞいたるが如し、つぎめ露れて、皮ゆたい、身に着たる物ハ、きぬ布のつぎも見
えず、片手にはあらめをもち、かた手には魚をもらうてもち、歩むやうにはしけれど
も、はかも行ず、よろ/\としてぞ出来る、と談さして、傍に裁縫して居る雪江と顔
見合せて、目に涙を浮め、常太郎も健三郎も、マサカ此俊寛程にもあるまじけれど、
定めて様々の辛苦を仕て居るならめ、二人共。此頃打絶て風の便の音信もあらざるハ、
若し煩ふてばし居るにあらずや、とつれ\゛/慰む為にとて読むなる文の文句さへも、
又子を忍ふ媒となる、親の心ぞ憐れなる、
雪江もさこそと思ひながら、態とさあらぬ風情にて、渡る世間に鬼はなし、とかいふ
世の諺もあるものを、兄上も弟も、人に勝れて温和き気質なれば、定て島守の官吏に
も、亦島人にも愛られて、憂目を見るは偖置、なか/\心安う其日を送らるならめ、
夫に母様が日々御経読誦の功力に依て、無病息災に渡らせらるゝに疑ひなけれバ、さ
る御心支は御無用に遊バさるゝやう、と言慰さむる、
其折しも表の方にて、ハイ御免下さりませ、西村菊江様のお宅ハ此方で御座り升か、
と濁声高く音信るゝ者ありけり、
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有王
『平家物語』巻第3
「有王」の章
鬼界が島に一人取り
残された俊寛の
後日譚
沙頭
砂浜
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