Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.4.11

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なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その40
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第14号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第14回(4)管理人註
  

噂をすれバ影とやら、菊枝、雪江の親と子が、常太郎と健三郎の噂に余念もなき折か ら、西村菊枝様のお家ハ此方で御坐り升か、と訛声高くお音信て入来りし其人は、是 なん別人ならず、五島より産物を大坂へ運送する通舩福栄丸の船頭。良助といふ者な り、菊枝に向ふて叮嚀に初対面の挨拶なし、サテ此方の御子息健三郎殿にハ、島にて 云々、と始め、金正に引取られ、夫より追て藩士に愛顧されしより、遂に君侯の聞く 処となりて、当今ハ役所の書記役に出世して、何不自由なく暮し居る迄、一部始終を 物語り、吾身が此く不幸の中の幸ひを得て居るに、つけても、心に掛るハ母上の御事、 姉上一人を依頼にして、如何に心細う暮し賜ふやらん、責めてハ一度当地へおん招き 申し、心計の御孝養の仕たけれハ、其方大坂に便舩の折、密に御伴して来て呉れよ、 と折入ての御依頼、流人の妻子眷属を内々にて連れ行く事ハ、元より堅き御法度なれ ども、平生御恩を蒙る健三郎様の御事故、早速御請を申してお使に参じました、失礼 ながら、表向ハ此良助めの親類中の者が、五島見物に参りし由に披露して、ソコをば 程好く取繕ひますれバ、決して御心支なく、又御道中も吾弟がお附き申せバ、大丈夫 通の離れ島なれバ、是ぞといふ事ハなけれども、鯨取、鮪取など、又都会の地にては 見る事難き見物もあれバ、是非々々、一度御越しあるやうと、田舎僕の愚直なる親切、 面に現れつゝ、健三郎が申含めたる口上通を逐一述べ、頓て健三郎の書状と、幾許の 金子と、該島の産物数種を送りしかバ、菊枝も雪江も、吾子と弟に面会せし心地にて、 直に其書状を開き見れバ、良助の口上に斉しき事を書連ね、余りに御懐かしけれバ、 是非々々此良助と共々、一度御下りあるやう、と返す\゛/\も記しあるにぞ、 養子某を始め親類一同とも種々相談せしに、健三郎も左程に立身して居る事なれハ、 一度御下りありて、久々の御対面ありて、然るべし、といふ人の多きに、菊枝ハ元よ り下りたき心の山々なれバ、さハとて疾に支度を調へ、頓て良助の舩に乗込て、五島 を指て漕出しハ、慶応二年といふ年の末の五日の事にて有しと歟、

    
 


「浪華異聞 大潮余談」目次/その39/その41

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