噂をすれバ影とやら、菊枝、雪江の親と子が、常太郎と健三郎の噂に余念もなき折か
ら、西村菊枝様のお家ハ此方で御坐り升か、と訛声高くお音信て入来りし其人は、是
なん別人ならず、五島より産物を大坂へ運送する通舩福栄丸の船頭。良助といふ者な
り、菊枝に向ふて叮嚀に初対面の挨拶なし、サテ此方の御子息健三郎殿にハ、島にて
云々、と始め、金正に引取られ、夫より追て藩士に愛顧されしより、遂に君侯の聞く
処となりて、当今ハ役所の書記役に出世して、何不自由なく暮し居る迄、一部始終を
物語り、吾身が此く不幸の中の幸ひを得て居るに、つけても、心に掛るハ母上の御事、
姉上一人を依頼にして、如何に心細う暮し賜ふやらん、責めてハ一度当地へおん招き
申し、心計の御孝養の仕たけれハ、其方大坂に便舩の折、密に御伴して来て呉れよ、
と折入ての御依頼、流人の妻子眷属を内々にて連れ行く事ハ、元より堅き御法度なれ
ども、平生御恩を蒙る健三郎様の御事故、早速御請を申してお使に参じました、失礼
ながら、表向ハ此良助めの親類中の者が、五島見物に参りし由に披露して、ソコをば
程好く取繕ひますれバ、決して御心支なく、又御道中も吾弟がお附き申せバ、大丈夫
通の離れ島なれバ、是ぞといふ事ハなけれども、鯨取、鮪取など、又都会の地にては
見る事難き見物もあれバ、是非々々、一度御越しあるやうと、田舎僕の愚直なる親切、
面に現れつゝ、健三郎が申含めたる口上通を逐一述べ、頓て健三郎の書状と、幾許の
金子と、該島の産物数種を送りしかバ、菊枝も雪江も、吾子と弟に面会せし心地にて、
直に其書状を開き見れバ、良助の口上に斉しき事を書連ね、余りに御懐かしけれバ、
是非々々此良助と共々、一度御下りあるやう、と返す\゛/\も記しあるにぞ、
養子某を始め親類一同とも種々相談せしに、健三郎も左程に立身して居る事なれハ、
一度御下りありて、久々の御対面ありて、然るべし、といふ人の多きに、菊枝ハ元よ
り下りたき心の山々なれバ、さハとて疾に支度を調へ、頓て良助の舩に乗込て、五島
を指て漕出しハ、慶応二年といふ年の末の五日の事にて有しと歟、
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