夫にハあらで、菊枝ハ又、子故に迷ふ親心、健三郎の孝行ハ、此上もなく嬉しけれど
も、郷に残せし雪江の事も、さすが心に懸りぬれバ、一先帰国せんと言出て、又の逢
瀬の容易ならねバ、今暫しと、強て留る健三郎の優しき言葉を、村肝の心強くも他に
聞きて、慶応四年の冬の初、又もや良助の舩に乗りて、五島の島をば立出でぬ、
去程に、菊枝が古郷なる弓削村に帰ると、間もなく其翌年、明治と改元し、王政維新
の聖代となり、旧幕の代の罪人ハ、尽く其科を赦さるゝ由の取沙汰あるにぞ、
菊枝ハ嬉さかぎりもなく、養子并に親類の誰彼とも相談の上、両人の忰、流罪恩免の
儀を其筋へ願出でしが、早速お聞届に成り、頓て両人とも其罪を許されて、全く青天
白日の身と成り、威気揚々として立帰りしハ、其年の冬の中に事なりしとか、
親子兄弟、二十余年振の再会にて、悲喜交集る情態ハ、拙き筆にハ述つくし難けれハ、
態と略きて記さす、看客宜しく察し玉へかし、
おふ坂の関のすきむら雪消えて、道ある御代と春か来るけり、
却説、西村常太郎、同く健三郎の両人ハ、偶々明治維新の道ある聖人に逢ふて、多年
憂愁の雲霧を払ひ、始めて青天白日を仰ぐ身となりしが、常太郎ハ島に居りし中、去
る医師に従ひて、力圭の業を学び、夫を便宜に其日を送り居りしかば、吾村に帰りて
も、矢張医術を業として、一家を為さんとて、親類の誰彼とも相談の上、別に家をぞ
搆へける、
健三郎ハ五島の家も其儘にしてあり、役所に仕残せし用向もあり、殊に師なり、親な
りの大恩人たる金正にも、報恩謝礼もせねばならぬ事故、一先該地に立帰りしが、是
迄役所の用向ハ、万事健三郎が担任て居りしに、俄に赦免に成て、本地に立帰りしか
バ、何かに不都合多く、困て居りし所なるにぞ、
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