健三郎が立帰りしと聞きて、大きに喜び、早速殿様の御前に云々と取成して、現米二
十石にて親規召抱への達しあり、如何に辞退すれども、許容なく、又恩人金正よりも
再三の勧進ありしかば、止事なくて其命に随ひしに、直に産物掛取締を申付けられ、
是より五島に足を留めて、一意に其職を勤めしが、固より経済の才に富ミ、殊に清廉
の人なれバ、下を虐げ、賄賂を貪るなど云ふ事ハ少しもなく、下民も能く懐き、産物
も追々増殖の勢ひを露せしにぞ、
五島侯にも深く其才を愛られ、可惜人物を此島に置かんよりハ、大坂なる蔵屋敷に遣
ハすこそ好けれ、と其後大坂江戸堀の蔵屋敷出張を命ぜられ、物産売捌、并に金方周
旋の事を委任され、家禄も身分も相当に登揚てられしが、同藩の若士輩ハ、健三郎の
立身を賀して、其別に餞する為とて、領内なる某山に於て、一日山狩の遊を催し、其
日の獲を以て離別の杯を勧めたりとか、
斯て健三郎ハ、当地江戸堀なる五島侯の蔵屋敷に来り、五島にありし時よりハ、尚一
層職務に勉励なし、盛に物産を捌きて金銀の融通をなし、頗る一藩の財政を補居をり
ける、
去程に時世一変して、朝廷より廃藩置県の儀を仰出され、藩政も大に変更ありしかば、
健三郎も其職を辞して難波村に家を卜し、是迄の貯蓄金に馮て豊に世を送り居りぬ、
話頭一転、再説、新町南通なる大安の主安兵衛ハ、妻のおなるに先立たれ、間もなく
小浪と手を切て、今ハ独身となりしかば、閨房淋さに耐へられず、おなるの妹君子に
念を懸けて、間がな透がな掻口説けども、君子ハつや\/聞入れず、殊におかねが陰
になり、陽になりて、能く防ぐにぞ、
愈々欲念の果し兼、何とかして思ひを遂げんものと、日に心を苦しめける、
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