飛鳥川、淵にもあらぬ吾宿も、瀬に変りゆくものにぞありけり、
偖も新町南通の大安ハ、母のおよねの病気せしより、養子安兵衛の放蕩引続きて、お
なるの病死等連年の物入にて、今ハ昔の大安ならず、
漸く娼妓の店附屋抔営みて、其日を送り居れども、おかねハ、およねにも、おなるに
も、娘の事を頼む、子の事を頼む家の事を頼むと、懇なる遺言を受けし事あれば、斯
る成行になりても、少しも心を動かさず、おふくの君子の世話より、幸次郎、おかう
の養育方、家の活計の取締迄、身一に担任て、何から何迄能く行届かせ、三拾年一日
の如く勤居る、其志の殊勝なる、比類稀なる女子と云ふべし、
夫に反対へ養子安兵衛ハ、おなるの病死より無理なる才覚して、芸妓狂をする計りか、
おふくの君子にも思を掛け、吾家に引取て、おなるの後妻にせんものと、折を求めて
ハ掻口説けども、君子ハ姉のおなるが早世せしも、素ハと云へバ、安兵衛が薄情なる
より起りし事、又吾家の此迄に衰へしも、必竟安兵衛が放蕩より出でし事、さすれば
姉の仇、家の敵に斉しき者なり、と平生心憎く思ひ居る事なれば、例も情なく謝絶て、
更に従ふ景色もなく、おかねも亦、君子に好き旦那か、又ハ沈着き婿を持せて、再び
大安の家名を起させんとの志あれバ、君子の陰になり陽になりて、安兵衛の防禦を成
すにぞ、
愈々心に任せねども、安兵衛ハ尚懲りずまに、間がな透がな君子を執へて、道に欠け
たる無体の恋慕、
今日も君子が用ありて家に帰りし其折しも、幸おかねの留主なれば、平生の望を遂る
時節と、安兵衛ハ心に喜び、奥の一間に君子を誘ひ、斯おふく、此間から度々云ふが、
未だ手前ハ得心が行かぬのか、如何に年が行かぬからと云ふて、素人の生娘でハある
まいし、芸妓と名か附て居るからにハ、チットハ客を欺す事も知て居るであら、ソノ
欺す智恵がありながら、己の云ふ事が訳らねへとハ、如何したものだ、此大安の家と
云ふものハ、名前人の此己の物にハ相違ないけれども、血筋から云へば死だおなると
手前の物でハないか、
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