Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.4.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その47
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第16号』所収 駸々堂 1882

◇禁転載◇

 第16回(4)管理人註
  

話頭暫く始に復る、 弘化三年五月、西村常太郎ハ、当年十五歳に成しかバ、大阪の町奉行に呼出され、父 利三郎が大塩の暴挙に加担せし罪を以て隠岐国へ遠流と事定り、本町橋東詰なる西町 奉行所の浜より、小舩に乗せられて、安治川に碇泊せる本舩へ送られしが、生憎風の 手悪くして、出帆すること能ハず、此処に二三日の滞留をこそ為しけれ、 偖も常太郎の母菊枝ハ、過日本町橋にて泣の涙の別をなせしが、常太郎が風の為に妨 げられて、未だ川口に碇泊せる由を聞て、切て今一度の名残をも惜まばやと、妹雪江 と弟健三郎の手を携へて、川口に至り、囚卒に就て少しく忘物の侍れハ、今一度の対 面を願ひ侍る、と頼みしに、早速聞届けられて、本舩に乗込しが、常太郎が角なる木 にて、堅固に画切たる一間の中に端坐せる、其憔悴しき姿を一目見るより、忽ち眼も 暗れ、心も闇みて、思はずワツと泣臥しぬ、 常太郎も、思ひがけなく来りし母の顔を見て、コハ/\如何にして来ませし、と計り 是も亦嬉し涙に咽ぶのみ、 互に暫時言もなかりしが、菊枝し漸々に思返して、常太郎に打向ひ、最早面会ハせぬ 積りにて侍りしが、師の光平(是ハ天誅組の一名にて、名高き国学者伴林六郎の事に て、常太郎の読書の師なり)、大人の許より餞別にとて、一昨日の夜に至て、和歌一 首送り賜ひしを、今一日早かりせば、手渡して喜バせんものを、と最遺憾しく思ひ居 しに、まだ川口に風待して居ることを、今朝去人より告越されしまゝ、師の誠意の感 通せしにや、とそゞろ嬉しく、健三郎、雪江等が、今一度兄上の御顔の見度う侍る、 と止るも聞で跡遂ふも可憐しく、二人をも召具して、此ハ訪ひ侍りしなり、と謂ひつゝ、 袱紗包みの中より短冊一枚取出して、いざと計に渡す手と、受取る手とを握合ひ、思 ふ心を言バ口に云はて、別るゝ親と子が、人目に憚る胸の中、心の中の千万無量、他 の見る目も憐れなり、

召具
(めしぐ)
供の者を連
れること







 


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