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常太郎ハ頓て母の手を離し、涙にかすむ眼を拭ひて、師の短冊を打詠め、飛鳥も帰る
古巣は有と聞く、こぎ出し舩の跡の白浪、と二度三度繰返して、又も涙の眼をしバたゝ
き、拙き吾等を弟子と思はれて、此計厚きおふせごとを蒙むるこそ難有けれ、九ツの
世を替るとも、師の恩恵をば忘れはおろじ、と言ひつゝ、母と顔見合せ、互に言も泣
計り、雪江。健三郎の両人ハ、舟に乗ることを許されねバ、止事なくて、岸辺なる柳
の蔭に待居しが、忍び兼てや延上り、母上のう、吾々も暫時なりとも、兄上のお顔が
見度う侍る、夫も恊ハずば、お声なと聞せてたべ、と声を限に叫ぶにぞ、
常太郎も忍兼て、思ハず声を張上つ、雪江よ、健三郎よ、兄ハ無事にて居る程に、御
身等も恙なく、過日別に臨て訓誡し事を失念せず、能く母上に事へよ、と謂ふのみに
て、延上らんにも檻の内の立事恊ハぬ身にしあれば、互に顔は水と陸、心計を乗て行
く、波の憐れや、うたかの憂き世の様こそ果敢なけれ、何時迄も、此てある可きなら
ねハ、菊枝ハやう/\に思絶えて、落る涙を袖に押へて、常太郎に暇を告れバ、常太
郎も涙を呑込て言少なに別を告げ、互に名残、鴛鴦の雄雌の別れの夫ならで、焼野の
雉子、夜の鶴の親子の別、世の中の悲しき事の限りなりかし
却説、西村常太郎ハ風帆恙なく、其月下浣に隠岐国にぞ着にける、当地は雲州松江侯
の支配なるが、該藩の陣屋より多くの役人、罪人を出迎ひに来り、舩より上ると、其
儘傍の芝原にて罪人の罪の次第を読上て、此処にて大阪より多くの役人の手を離れ、
直に陣屋に引れて、陣代より嶋の規則を申渡され、村々の庄家へ村高五十石に壱人宛
の割合を以て 取にて預けられけり、
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鴛鴦
(えんおう)
オシドリのつがい
下浣
(かかん)
下旬
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