おわ
サテ旦那様にハ、中隊の一方の大将にて在しまし、十分のお働を成さるゝお覚悟
わざ
にや、態とお鎧ハ召されずして鎖帷子に御身を固められ、日頃御秘蔵の関の孫六
め て ひつさ
の御刀を右手に提げて、進まれし其御有様、身の丈高く、骨格秀で、伊賀の上野
かく
の仇討に比類なき働せしといひ伝ふ、荒木又右衛門も斯やと思ふ計、余のお歴々
ひときは
の方々に何れ優劣ハあらざれども、一層勝れて勇ましく、天晴一方の大将やと謂
それ うま
ねど、夫と知らるゝ武者振、驥の尾に附く蝿虫の、此下郎めも心嬉しく、責て旦
那の取賜ひし敵の首をば、一ツ二ツ拾ふてなりともお土産にと、お跡に引添ひ立
まづごんげんさま おみや ものもち
出でしが、先東照神宮の御廟に大砲を打込で、之を焼立、夫より豪富の家毎に大
くら/\ てあたり
砲を打込で、火を掛け、倉庫を打破り、金銀米銭等手当次第に引出して、之を窮
さながら あまきもの またゝく
民に与へしかば、其恩を感じ、徳を慕ひて、宛然甘物に蟻の附くが如く、瞬息間
に人数を増し、其勢数千に及びしかば、弥々益々勢ひ能く、サラバ船場へ押渡ら
んと、天満橋へと進むだり、
【戦闘図 略】
ト語れば、菊枝ハ膝押進め、ヲヽ勇しゝ々々、夫より船場へ渡られしかと問へば、
はや
忠助さん、候、天満橋まで来て見れバ、敵にも予て用意をなし、早橋桁を切落し、
詰にハ人数の数百人、弓鉄砲にて固めたれバ、道を転じて西に走り、浪花橋より
ものもち
押渡りしが、船場ハ素より金満家のおほき処なれば、縦横無尽に焼立て/\、処
々の合戦に、敵の人数を打破り、その勢ひに乗じつゝ、淡路通の堺筋迄来りし折
ひとて かたき
ネ、一手の敵軍に出合ひしが、第一味方の敵と狙ふ跡部殿の馬印の見えければ、
かた/\
大塩殿にハ、采配を打振り/\、此一手さへ打破らば、大望成就疑ひなし、方々
しるし いくさ
力を尽し候へ、山城守の首を揚げたる者ハ、今日の軍の第一の功名なるぞ、と例
つりがね
の梵鐘の如き声を揚て、頻に下知を伝へられしにぞ、
旦那様にハ、其御下知の下より、一人真先に進出で、彼の孫六の刀を以て、暫時
の間に敵二三人切倒し、尚も進て戦ひ賜ふ、其御働きの目覚しさ、大塩殿にハ之
ことば
を見賜ひ、ソレ利三郎を打すな、方々進み候へ/\、と烈しき下知の言の下より、
庄司儀左衛門、大井庄二郎殿を始め、白井、茨田、杉山の方々、或ハ長刀、鎗刀、
かざ
得物々々を打翳し、面も振らず切入りしかば、サスが山城殿の大軍も、此勢ひに
切立てられ、半町余退きしが、山城殿にハ、小具足の上に狩裳束に蝦夷錦の陣羽
織を一着して、裏金の陣笠を召され、鹿毛なる馬に乗られしが、馬の鞍坪に身を
そば か
聳立て、大音揚げ、敵ハ元より小勢にて、然も烏合の者共なるに、此く切立てら
はぢ よばゝ あぶみ けり
るゝとハ何事ぞ、愧を知り、名を惜む人々ハ、吾に続けと叫り/\、鐙を蹶立て
進まれしかば、此勢ひに力を得てや、小畑秋之助、藤田孝之助など名乗を揚つゝ、
数十人の与力同心、山城殿の馬前に立て引返せしにぞ、
漸く備を立直し、是より互に打ツ撃れツ、半時余戦ひしが、此時迄も旦那様にハ、
尚一足も引賜ハず、真先駈ての奮戦激闘、折節敵方より打出す一発の鉄砲にト言
おとろ つ ま あえ
掛て、ホツト息すれば、菊枝ハハツト打駭き、シテ其鉄砲に吾所夫にハ敢なき最
ことばせは きつさう
后をや、遂賜ひしと言遽しく尋れば、常五郎も顔色変へ、ナニ父上にハお打死と
せき
やと、一層遽込む親と子、お諸手を挙て押静め、お二方共マヅお心をお静め遊ば
され、此次の物語をトツクリとお聞下されと、おかねが気転に、汲置たる茶碇の
水をば手に取上げ、只一口にと呑干しける、
(此段未だつくさゞれ共、長きに過るを以て、次回に譲る)
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