そのとき ぬら ふたゝびときいだ あえ
当下忠助ハ、茶碗の水に喉を湿して、再説出すやう敵より放せし鉄砲に、敢なく
おほく
打たれし其人ハ、旦那様にハ非ずして、多の味方の其内にて、第一番の剛傑と頼
切たる一人の勇士、大砲支配の先手の大将梅田源右衛門殿にて候ひしが、是を見
るより味方の雑人、ソレ源右衛門様が打たれたと、一同俄に驚き騒ぎ、持たる鉄
砲鎗刀を其儘其処に打捨て、右往左往に逃行くにぞ、
はがみ な さ
大塩殿の御父子を始め、旦那様にも歯切を被成れ、源右衛門一人を撃たれしとて、
何條逃る事やある、平八郎父子之にあり、利三郎之にあり、返せ者共、留れ人々、
そなへ
と声を限りに呼ハり/\、再び隊伍を立直さん、と烈しく下知せし折ネ、敵にハ
あらて
遠藤但馬守の新手加りて、弥々勢ひを添へ、味方ハ続く兵なければ、衆寡敵し難
き自然の勢、遂に味方ハ大敗軍、或ハ打れつ、或ハ逃げつ、大塩殿を始めとして、
いくさ
旦那様さへお行方知れず、軍のお伴に立ながら、主の先途をも見届ず、何をめ/\
せめ
と返らるべき、切て敵の雑兵の一人なりとも打取て、潔よく討死せんものと、跡
まぎれい しばし たゝかひ
部殿の人数に紛入りしが、イヤ待て暫時、今日の戦争に、斯く味方の敗軍となる
かゝ
からハ、弓削村のお留主宅へも、討手の向ふは知れし事、奥様には此るべしとハ
しら そのまゝ をわ おんみ
露知し召さず、依然お内に在しましなば、御身ハ元 三人の和子様迄、やみ/\
はせ
敵の手に生捕れ賜りなん、左すれば此処にて一命を捨るよりハ、お留主宅に走帰
いづく
て戦争の次第をお知せ申し、奥様始め和子様をも、何処の里へなりと御落し参ら
せめ はぢ たもち
するが、夫こそ切てもの忠義なれと、思直して愧を忘れ、惜くも非ぬ命を保て、
此をめ/\と逃返りぬ、
右の次第に候へば、今にも討手の来らんも計られず、大切の御書物、又ハ金子衣
類調度抔御取纏め遊バされ、今より直に何処へなりとも、心当の方へお立退き遊
バされよ、下郎め、おん伴仕らんと謂へバ、菊枝ハ斯と聞くより遺恨の涙、ハラ
つ ま たゝかい いきながらへ
/\、吾所天にハ兼ての御気性、今日の戦争に打負る上からハ、迚も生長経て居
をのれ
らるゝ筈はなし、左すれば吾所天の敵ハ、跡部山城守、己女でこそあれ、西村利
わらわ
三郎が妻、一太刀怨までおくべきか、コリヤ忠助、今より妾を案内して、跡部殿
なげし
の陣処迄連て行にや、と云ふより早く奥へ駈入り、承塵に掛けたる長刀を、取る
あはて すが
より早く飛出す、隻の袂に忠助とおかねハ遽て取槌り、モシ奥様菊枝様、彼方ハ
どうぞ
お気ばしお違ひ遊バされしか、情願お心をお鎮め遊バされ、今此二人が申上る事、
一通お聞なされて下されませ、と忠義ハ変らぬ異口同音、
【菊枝の長刀にとりすがるおかねの図 略】
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