Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.5.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その53
宇田川文海 (1848−1930)

18号』所収 駸々堂 1882◇禁転載◇

 第18回(3)管理人註
  

然るべき師を求めて、物学びなどさせたらましかば、其課業に紛れて、自然島の物憂 をも忘るぺけれと、弥右衛門とも相談なし、常太郎に其事を語らひしに、常太郎も大 いに喜び、学問の事ハ元より望む処なれバ、至急御周旋を賜ハるやうとの返答に、然 らばとて、清助が予て懇意にする原田村の村上良準ハ、本業の医術ハ元より、漢学も 一国に名高き先生なれバ、此人こそ然るべけれど、爰に相談一決して、吉日を撰み、 清助、弥右衛門の両人連立て、常太郎と誘ひ、村上方へ入門させけり、 常太郎ハ弥右衛門、清助の両人が親切なる世話に因り、原田村なる大医村上先生の許 に寄宿して、漢学医術の両道を学ひしが、元来一を聞て十を知るの才あるに、是迄伴 林大人に随ふて教授を受け、既に和漢の書籍、普通ハ読過めたる事なれバ、只読難く、 解し難き箇処/\を質問するのみ、更に句読を受くる煩ひもなく、殊に此道に依て身 を立てんものと、予て志を決したるにぞ、 日夜己が部屋に閉籠りて、あらゆる書籍に眼を晒すのみ、 此る僻地の事なれバ、学問する者極めて稀にて、外に一人の相弟子も無きを、尋常の 少年ならば、無聊くも思ふ可けれど、空談、或ハ遊戯の為に課業を妨げ、光陰を費す の憂なくて、中々幸ひなりと、是を結句好き事に思ひて、他念なく勉強せしかば、僅 か一二年の間に漢学医術両がら、非常に上進なしける、 又課業の余力に詩文をも作りて、点削を請けしが、或時、 半輪猶未西山。照到床辺謫客顔、寧厭風霜徹膚冷。中宵移歩向松問。 といふ絶句を作りて、先生の賞誉を得し事もありしとかや、 師なる良準も常太郎が才と志とに感じて、只管愛憐の情を増し、流石大塩後素の四高 弟と謂ハれし西村履道の子程ありて、実に末頼母敷少年哉、縲絏の中にありと雖も、 其罪に非ず、と其子を以て之に妻すと云ふ本文もあれば、儘にさへなる事なら。娘の 織江に婿ハして、吾家の箕姿を嗣せんものを、流人と縁談を禁じらるゝ国の律令こそ 是非なれ、と妻のお何と寝物語の序に言出て、頻に之を最惜みけり、

縲絏
(るいせつ)
罪人として捕
らわれること









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