然るべき師を求めて、物学びなどさせたらましかば、其課業に紛れて、自然島の物憂
をも忘るぺけれと、弥右衛門とも相談なし、常太郎に其事を語らひしに、常太郎も大
いに喜び、学問の事ハ元より望む処なれバ、至急御周旋を賜ハるやうとの返答に、然
らばとて、清助が予て懇意にする原田村の村上良準ハ、本業の医術ハ元より、漢学も
一国に名高き先生なれバ、此人こそ然るべけれど、爰に相談一決して、吉日を撰み、
清助、弥右衛門の両人連立て、常太郎と誘ひ、村上方へ入門させけり、
常太郎ハ弥右衛門、清助の両人が親切なる世話に因り、原田村なる大医村上先生の許
に寄宿して、漢学医術の両道を学ひしが、元来一を聞て十を知るの才あるに、是迄伴
林大人に随ふて教授を受け、既に和漢の書籍、普通ハ読過めたる事なれバ、只読難く、
解し難き箇処/\を質問するのみ、更に句読を受くる煩ひもなく、殊に此道に依て身
を立てんものと、予て志を決したるにぞ、
日夜己が部屋に閉籠りて、あらゆる書籍に眼を晒すのみ、
此る僻地の事なれバ、学問する者極めて稀にて、外に一人の相弟子も無きを、尋常の
少年ならば、無聊くも思ふ可けれど、空談、或ハ遊戯の為に課業を妨げ、光陰を費す
の憂なくて、中々幸ひなりと、是を結句好き事に思ひて、他念なく勉強せしかば、僅
か一二年の間に漢学医術両がら、非常に上進なしける、
又課業の余力に詩文をも作りて、点削を請けしが、或時、
半輪猶未 落 西山 。照到床辺謫客顔、寧厭風霜 徹膚冷。中宵移 歩向 松問 。
といふ絶句を作りて、先生の賞誉を得し事もありしとかや、
師なる良準も常太郎が才と志とに感じて、只管愛憐の情を増し、流石大塩後素の四高
弟と謂ハれし西村履道の子程ありて、実に末頼母敷少年哉、縲絏の中にありと雖も、
其罪に非ず、と其子を以て之に妻すと云ふ本文もあれば、儘にさへなる事なら。娘の
織江に婿ハして、吾家の箕姿を嗣せんものを、流人と縁談を禁じらるゝ国の律令こそ
是非なれ、と妻のお何と寝物語の序に言出て、頻に之を最惜みけり、
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