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偖此良準の娘織江と云ふハ、常太郎よりハ年三劣りて、本年三五の齢なるが、やゝ春
心つきて、日頃常太郎の標致と才とに想を懸け、私に心を悩せしに、父と母とが婿に
もがな、と語ひをる寝物語を漏聞きて、いよ/\恋慕の念を弥増し、仮令公儀の制法
にて流人を婿にするを禁ぜらるゝとも、切て一夜の情をば受けてんものと、娘心の稚
態未減に思詰めてハ、道の口の吉備の中山なか/\に、古家の軒のしのぶ草、しのび
兼ねつも、幾度か打出の浜の打出でゝ、云ハんとせしが、しかすがに言ひも出さで、
海人の苅る藻に住む虫の、われからと身を焦して居たりしが、遂に夏痩と答へて、あ
とハと某の言ひけん、恋煩の病を惹出し、只己が部屋にのみ閉籠りて、寝つ起つして
居る其容体を、流石名医の良準も想思痛とハ気の附かで、只管平ならぬ事に思ひ、薬
よ養生食よ、と心を尽して介抱するを、此家に出入の針妙おさきと云ふ婆々ハ、是迄
数多の男をも持ちて、此事にハ物慣れたる女なれバ、織江の病症を大方ハ夫より了り
て、一日両人の間を伺ひて、織江の部屋に至り、浮世雑談の其序に、妾試に嬢様の御
病気の根を当てゝ見候ハん、然し素より推量の事なれば、若違ひなば御免を請ふのみ、
と言ひつゝ莞爾打笑ひ、頓て一入声を低めつ、貴嬢の御病気の其原ハ、那の西村の殿
ならめ、と星を指されし一言に、織江ハ、今更兎や角と包まんやうも、夏虫の恋に焦
るゝ思ひの丈を最詳細に言出でしが、おさきハ、さこそと膝摺寄せ、夫式の事に思煩
ひ給ふとハ、御心弱さも程のある其儀ならは、此婆々に任せ給へ、必程よく取持して
参らせん、と云ふ折しも、母お何の声音にて、おさきどの/\、
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標致
容貌の美しい
こと
針妙
(しんみょう)
裁縫をさせる
ために雇う女
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