Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.5.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その55
宇田川文海 (1848−1930)

19号』所収 駸々堂 1882◇禁転載◇

 第19回(1)管理人註
  

又手も針妙おさきは、織江の病根を言当てゝ、之が療治方を承諾ひしが、独心に思ふ やう、織江様ハ、今年お齢も三五夜の、月も羞ふ花の顔、殊に父御の御庭訓にて、裁 縫、手習、言ふも更なり、 男文字さへ能読みて、和歌ハ元より唐詩をも、男勝に作り給ひ、才も姿色も此島にて、 二人とハふき程なれば、西村様とハ才子佳人、実に一対の好き御夫婦、如何に物堅き お人なればとて、叱る美人が御垣守衛士の焚火の夜ハ燃え、昼ハ消ゆなる物思ひの つもりにて、今ハ思想病に煩ひ給ふと聞くならば、よもいふ舟のいなとのみ難面き、 答ハ做給ふまじ、と己か心に比較べて、人の心を測量り。何時か言寄る首尾もがな、 と密其時を伺ひけり、 頃しも弥生の中旬にて、庭の桜ハ今を盛と開乱れ、池にハ鴛鴦の雄雌相顧みて嬉しげ に浮び、砌にハ胡蝶の番離れず、落しげに飛ぶあり、 常太郎ハ此る景色を他にして、今日も朝より机に向ひ、傍にあり合ふ兼好が徒然草を 読掛けしが、顕基の中納言のいひけん、配処の月罪なくして見ん、といふこところに 至りて、思ハずも嘆息なし、こハ余りに好事に過ぎたる癖言かな、如何に罪なき身な れぞとて、遠き島根に月を見て、何楽しき事のあるべき、家にありて、親兄弟、或ハ 親しき朋友など団楽して詠めてこそ、月も面白くも可笑しくもあるべけれ、 西行法師の住まであハれといひし如く、何事も想像と自其事に臨みとハ、甚く異なる ふしのあるものを、など独語ちつゝ、又もや己が罪なくて、配所に憂き年月を送るを 打かこつ、折しも障子を静に押開けて入来る者あり、 誰やと見れば、針妙のおさきなり、 片手に一碗の薄茶と少計の菓子を盆に載せて持来り、之を常太郎に勧め、是ハ嬢様よ り貴卿が永き日ぐらし、只父のみ読み給ひてさぞかし精神も倦労れ給ふべけれハ、御 慰にこれ参らせよ、とある御指令によりて持参せり、と懇に進むるにぞ、
















難面き
(つれなき)











顕基
源顕基
平安時代中期の
公卿、後一条天
皇が崩御した
際に顕基は、
「忠臣二君に仕えず」
として出家した、
また流刑の地で
「配所の月、罪なくて
見ん事」
と言ったとされる


「浪華異聞 大潮余談」目次/その54/その56

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