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又手も針妙おさきは、織江の病根を言当てゝ、之が療治方を承諾ひしが、独心に思ふ
やう、織江様ハ、今年お齢も三五夜の、月も羞ふ花の顔、殊に父御の御庭訓にて、裁
縫、手習、言ふも更なり、
男文字さへ能読みて、和歌ハ元より唐詩をも、男勝に作り給ひ、才も姿色も此島にて、
二人とハふき程なれば、西村様とハ才子佳人、実に一対の好き御夫婦、如何に物堅き
お人なればとて、叱る美人が御垣守衛士の焚火の夜ハ燃え、昼ハ消ゆなる物思ひの
つもりにて、今ハ思想病に煩ひ給ふと聞くならば、よもいふ舟のいなとのみ難面き、
答ハ做給ふまじ、と己か心に比較べて、人の心を測量り。何時か言寄る首尾もがな、
と密其時を伺ひけり、
頃しも弥生の中旬にて、庭の桜ハ今を盛と開乱れ、池にハ鴛鴦の雄雌相顧みて嬉しげ
に浮び、砌にハ胡蝶の番離れず、落しげに飛ぶあり、
常太郎ハ此る景色を他にして、今日も朝より机に向ひ、傍にあり合ふ兼好が徒然草を
読掛けしが、顕基の中納言のいひけん、配処の月罪なくして見ん、といふこところに
至りて、思ハずも嘆息なし、こハ余りに好事に過ぎたる癖言かな、如何に罪なき身な
れぞとて、遠き島根に月を見て、何楽しき事のあるべき、家にありて、親兄弟、或ハ
親しき朋友など団楽して詠めてこそ、月も面白くも可笑しくもあるべけれ、
西行法師の住まであハれといひし如く、何事も想像と自其事に臨みとハ、甚く異なる
ふしのあるものを、など独語ちつゝ、又もや己が罪なくて、配所に憂き年月を送るを
打かこつ、折しも障子を静に押開けて入来る者あり、
誰やと見れば、針妙のおさきなり、
片手に一碗の薄茶と少計の菓子を盆に載せて持来り、之を常太郎に勧め、是ハ嬢様よ
り貴卿が永き日ぐらし、只父のみ読み給ひてさぞかし精神も倦労れ給ふべけれハ、御
慰にこれ参らせよ、とある御指令によりて持参せり、と懇に進むるにぞ、
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難面き
(つれなき)
顕基
源顕基
平安時代中期の
公卿、後一条天
皇が崩御した
際に顕基は、
「忠臣二君に仕えず」
として出家した、
また流刑の地で
「配所の月、罪なくて
見ん事」
と言ったとされる
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