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とても世にながらふべくもあらぬ身の、仮の契をしかで結ばん、是ハこれ、人も知り
たる小楠公が弁の局の、結婚を辞せし和歌にして、殉難決死の志三十一文字の上に露
れて、苟も人心ある者、之を見て涙の襟を湿さゞる者なし、
閑話休題、当下おさきハ、常太郎の驚きたる顔を見て、尚も声を低め、只今貴卿のお
辞に、織江様の想思病に沈み給ふハ、7如何にも不便の至りなれバ、父御に説きて其
思を遂げさせん、と仰せられしならずや、左迄に親切なる御心あらば、父御に説く迄
の事もなし、今宵直に織江様のお部屋に忍びて貴卿自ら治術を施し給ハヾ、明日ハ必
ず全快あらん、左れバ之に増したる軽便き事ハなし、
若此療治を做遂げ給ハヾ、織江様の御喜ハ元より、貴卿のおん為にも、後来定めて幸
福あるべし、其折の御案内にハ、此婆々の立つべければ、疾々御心を決し賜へ、と云
ふを聞くより、常太郎ハ容を屹度改めて、此ハおさき殿のお辞とも覚えぬ事を仰せら
るゝものかな、お前に織江様の御病気を不便の至故、其思を遂げさせ参せんと申せし
ハ、才学品位両ながら兼備へて、村上のお家の婿君と仰がるゝとも、愧しからぬ人物
を恋慕ひ給ふならん、と推量りしよりの事にこそあれ、某如き無学不才、殊に政府の
罪人に想を懸け給ふとハ、先生のお子とも覚えぬお心得違、阿女も此お家に古く出入
して、限りなき御恩を蒙る身ながら、斯る正な事を聞きて、一言の諫をも入れず、却
て某に向ふて、媒介顔なる言を放ち給ふハ何事ぞや、
如何に女子ハ理義に暗きものとハ言へ、余りと云へば不束の至りなり、仮令某才学も
普通にて、政府の罪人ならねバとて、師の嬢と私する如き浮薄極る者ならんや、と敦
圉荒く罵りしが、やゝ反省して莞爾と打笑み、織江様にハ男愧かしき迄才学に長け給
ひ、殊に気性も活撥にて渡らせ給へば、決してさる心得違のことあるべくも思ハれず、
彼九州の大儒と世に聞えたる、亀井先生の娘かうめとか云へるが、九州第一梅、今夜
為君開、云々の唐詩を作り、生賢き塾生を愚弄りし事ありと歟、
恐くハ此手段を用ゐて、小生の心腸を試み給ふならめ、
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敦圉
(いきまき)
龜井先生
亀井昭陽、
娘は小琴、
江戸時代後期の
女性漢詩人、
「九州第一の梅,
今夜君の為に開く」
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