Я[大塩の乱 資料館]Я
2019.5.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その57
宇田川文海 (1848−1930)

19号』所収 駸々堂 1882◇禁転載◇

 第19回(3)管理人註
  

とても世にながらふべくもあらぬ身の、仮の契をしかで結ばん、是ハこれ、人も知り たる小楠公が弁の局の、結婚を辞せし和歌にして、殉難決死の志三十一文字の上に露 れて、苟も人心ある者、之を見て涙の襟を湿さゞる者なし、 閑話休題、当下おさきハ、常太郎の驚きたる顔を見て、尚も声を低め、只今貴卿のお 辞に、織江様の想思病に沈み給ふハ、7如何にも不便の至りなれバ、父御に説きて其 思を遂げさせん、と仰せられしならずや、左迄に親切なる御心あらば、父御に説く迄 の事もなし、今宵直に織江様のお部屋に忍びて貴卿自ら治術を施し給ハヾ、明日ハ必 ず全快あらん、左れバ之に増したる軽便き事ハなし、 若此療治を做遂げ給ハヾ、織江様の御喜ハ元より、貴卿のおん為にも、後来定めて幸 福あるべし、其折の御案内にハ、此婆々の立つべければ、疾々御心を決し賜へ、と云 ふを聞くより、常太郎ハ容を屹度改めて、此ハおさき殿のお辞とも覚えぬ事を仰せら るゝものかな、お前に織江様の御病気を不便の至故、其思を遂げさせ参せんと申せし ハ、才学品位両ながら兼備へて、村上のお家の婿君と仰がるゝとも、愧しからぬ人物 を恋慕ひ給ふならん、と推量りしよりの事にこそあれ、某如き無学不才、殊に政府の 罪人に想を懸け給ふとハ、先生のお子とも覚えぬお心得違、阿女も此お家に古く出入 して、限りなき御恩を蒙る身ながら、斯る正な事を聞きて、一言の諫をも入れず、却 て某に向ふて、媒介顔なる言を放ち給ふハ何事ぞや、 如何に女子ハ理義に暗きものとハ言へ、余りと云へば不束の至りなり、仮令某才学も 普通にて、政府の罪人ならねバとて、師の嬢と私する如き浮薄極る者ならんや、と敦 圉荒く罵りしが、やゝ反省して莞爾と打笑み、織江様にハ男愧かしき迄才学に長け給 ひ、殊に気性も活撥にて渡らせ給へば、決してさる心得違のことあるべくも思ハれず、 彼九州の大儒と世に聞えたる、亀井先生の娘かうめとか云へるが、九州第一梅、今夜 為君開、云々の唐詩を作り、生賢き塾生を愚弄りし事ありと歟、 恐くハ此手段を用ゐて、小生の心腸を試み給ふならめ、

敦圉
(いきまき)


龜井先生
亀井昭陽、
娘は小琴、
江戸時代後期の
女性漢詩人、
「九州第一の梅,
今夜君の為に開く」


「浪華異聞 大潮余談」目次/その56/その58

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