Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.5.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


なにはいぶん  しほの なごり
「浪華異聞 大潮余談」
 その8
宇田川文海 (1848−1930)

『絵入人情 美也子新誌 第3号』所収 駸々堂 1882.5

◇禁転載◇

 第3回 (3)管理人註
  

  よわひ    とふ                    ひごろ 御身年齢未だ十にも足ねども、既に四書の素読をも終へ、又平生父上より聖経賢                                 ますらを 伝の御講釈をも承はり居るなれば、身を殺して仁を為すとかや、志ある丈夫ハ、                ほゞ 身より名を惜むものと云ふ事ハ、粗心得て、居るならん、そも/\此度父上にハ、          うへこゝへ       くるしみ 日本余州の細民等が饑凍て、塗炭の苦とやらに陥るを見るに見兼て、天に替りて 道を行ふの義兵を起し、紆商滑吏を誅伐せんとて、今日の事を起し賜ひしに、不                                 さかん 幸にして其事成らず、終におん行方さへ定かならぬ次第に至りしか、人盛なれば                         い と はげし    きしやう 天に勝つの道理、是も亦是非なき事、父上にハ平生憤慨激烈き御気質なれば、迚     ながらへ            さら も此世に長経居らるゝ事ハよもあらじ、然ば其妻たり其子たる者、誰か此世に長                  おんたち 経居るべき、直に此母が手に掛けて、汝輩を刺殺し、吾も其坐に自害して果つべ きなれど、数百年来相続せし此西村の家名を、一旦にして廃滅さするも祖先に対 して不孝なれば、若し仮令謀反人の子孫にても、十歳未満の者故、其罪を問ハず    おほやけ と云ふ公の沙汰あらんも計り難けれバ、其時にハ性命を保て、文学武芸を飽迄励                                いけにへ み、再び家名を起し賜へ、且ハ利三郎殿が数千万の細民の為に、身を犠牲にした      うけつ                         いらひと  おき まひし志を承継きて、国の為、世の為に、天晴志を尽しねかし、又万一苛刻き法                  わろび 律を以て無惨の処刑に及ぶとも、必ず卑怯れし振舞あるべからず、今こそ非業の   とぐ    いつか           かうばしきな     とゝむ   はえ        わらわ 死を遂るも、何日か天定るの時ありて、芳名を青史に留るの栄あるべし、妾ハ公     かゝわ                  のぞん の沙汰に関係らず、聊か別に思ふ旨もあれば、其時に臨て志を顕すべし、仮令如                          ねんごろ 何様の事を為すも、決して驚くべかず、悲むべからず抔懇に意見を加へ、又雪江   こま/\                      まごゝろ          なんたち にも細々と言含め、扨忠助おかねの二人に向ひて、是迄の忠心を深く謝し、汝輩                 とがめ                 みたり ハ元より召使の事なれば、さしての過責もあるまじければ、此上の願にハ、三人  こども               わらは      ゆくすゑ の小児等、万に一ツも恙なき事を得ば、妾に成替て行末、力を添て介抱して下さ れ、と頼置き、かくハ云ふものゝ、今にも討手の来し上にて、如何に成行くも計              わかれ              かわらけ り難かれば、親子主従一世の別の杯せんと、銚子瓦器取出させしつゝ、心静に汲       やが  につこ         ことば                  ひとき 替ハせしか、頓て完爾と笑ふて、常五郎に言を掛け、此世の名残に一曲く御舞候                   をさな          いと さかし へ、いざ/\、と進められて、常五郎ハ幼年けれども、最怜悧ければ、母の心を おほかた          せぐりく            ことさら   つくら 大方に、夫と悟て戯欷る涙のみこみ、故に笑顔造ふ愛らしさ、扇を執て立上り、      かたら もろびと       すゝ 「ともなひ語ふ諸人に、酒を差めて杯を、とり/\なれや梓弓、矢竹心の一つな   ものゝふ る、武士の交り頼みある、中の酒宴かな」と震へる声に、震へる足元踏しめ/\             こゝろね  おもひや 舞ふ、其子と舞ハする親の心底を、想像りつゝ忠助とおかねハ、涙ハラ/\、菊   わがこ 枝ハ吾子と吾家来に泣顔見せじと、手拍子をうつの山辺の、うつゝとも夢とも分   ゆめうゝつ かぬ夢幻、浮世の様こそ憐れなれ、  【常五郎、母の前で舞う図 略】

  
 


「浪華異聞 大潮余談」目次/その7/その9

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