かゝ とりて やくにん いでたち
此る処へ捕亡の小吏、其勢凡そ百有余人、手に/\十手、身軽の行装、村役人を
案内に、此家を目掛て押駆来り、内の様子を伺へば、門を八字に押開き、人気な
ひつそり しつま あたり うたい こはもの
き迄寂然と、静り返つて音もなく、只奥座敷の方に当て、手鼓の音謡曲の声物あ
ていたらく しばし たゆた
りげなる体裁に、思はず其処に足を止め、若し計略もあらんかと、暫時躊躇ふ先
ひか とりて
手の人々、後に扣へし捕亡の頭人小林六郎、此体を見て大音揚げ、此場に臨で小
謡手皷、死を恐れざる様を示すは、彼諸葛亮が街亭の琴、酒井忠次が浜松の太皷
擬?
に模機せし西村が奸計、敵に疑念を起させて、其間に免るゝ手段なるべし、若左
わるざれ
もなくんバ、引れ者の小謡に斉しく、只死物狂ひの悪戯とこそハ覚えられたり、
と からめと はけま
何條恐るゝ事やあらん、疾く踏込て捕縛れ、と烈しき下知に激励され、十手振上
われがち
げ、吾勝に上意/\の声諸共、奥を目掛て込入つたり、
はや
菊枝は此体を見て少しも騒かす、人々に向て形を改め、遽り賜ふな方々、妾は西
村利三郎の妻菊枝と申す者にて侍るが、其余の者共は、御覧の通り三人の幼き者
ひたすら
に二人の下女下男のみ、決してお手向ひを致すものならねバ、只管穏便の御沙汰、
あらしこ
をと謂ど、用捨も荒士子共、矢庭に捕たと声を掛け、菊枝を始め三人の小児、忠
助おかねの二人迄捕へて、縄をバ懸けたりける、
き つ にら
其時頭人小林は、床几に腰掛け、横柄に菊枝の顔を儼然と眦み、コリヤ菊枝とや
くはだて
ら、其方の良人利三郎事、大塩平八郎が容易ならざる企に一味なし、今日大坂市
すがた かく
中を乱暴なせし其末、終に踪跡を没せしが、定て家に帰りて潜伏して居るならん、
若し左もなくバ、何れにか身を忍びて居るに紛れなし、其方素より連添ふ女房の
ゆくへ いつはり
事なれば、利三郎の踪跡を、よも存ぜぬ事はあるまじ、サア有体に申上よ、若偽
こども から おど
陳じなば、其方は素より、三人の小児にも辛き目を見するぞ、と威せど、菊枝は
しか/\
今更に少しも怖るゝ景色なく、良人利三郎事、大塩殿に組して云々と云ふ噂の、
かゝ
此処にも前刻聞ゑたれど、如何なる所存ありて、此る事をば仕出したるや、さる
大望の企をば、元より女子共に明す様なる利三郎ならねば、妾に於ては少しも知
いかゝ
らず、只々寝耳に水の驚き、如何はせん、と途方に呉しが、仮令其情を知らぬ者
かばかり とて
にもせよ、此計の罪を犯したる者の妻子なれバ迚、安穏にして置るゝ道理ならず、
いつそ
去れバお上の手を煩はさんより、寧三人の小供を妾の手に掛て、潔く自害して相
わかれ まつご 杯
果なん、と親子主従一世の別、末后の水抔せし其折柄、相憎方々の御出張に預り
おもい え と なはめ
しかば、遺憾ながらも思を得遂げず、此をめ/\縛に掛り侍りぬ、右申上げし通
かくま
りの次第なれば、利三郎を潜伏ひ置くは偖置き、其の行方をも存知申さず、又妻
子にさへ明さぬ程の大望を思立ちし利三郎、所もあらうに討手の向ふは目に見た
を め うつけもの
る吾家へ、汚目/\立帰り、身を忍ぶ迄の痴愚漢にも候まじ、此迄に申しても、
尚お疑ひ晴れずば、極て手狭なる此住居、十分に御家捜し遊ばされよ、妾は元よ
こどもら をんみ
り、三人の小児輩、命を捨るは予ての覚悟に侍れバ、切るとも突くとも貴殿の御
さな とゞこをり いひわけ
心任せなり、と弁舌宛がら水の流るゝが如く、少しも渋滞なく弁解なしけれバ、
と り て
流石は賊ながらも西村利三郎の妻程あり、と小林を始め捕亡吏の人々、心の中に
かくまふ をきて
感じつゝ、左迄潔く申すからは、よも潜伏てはあるまじけれど、是も規則なれバ、
此分にはまかせ難しと、奥蔵、物置小家、又は天井裏、椽の下迄残る隈なく家捜
しなせしが、夫かと思ふ影もなければ、兎も角も家内一同拘引なし、尚も再応取
調ぶべし、と菊枝親子と忠助おかね、家内六人珠数繋ぎ、大坂指して引行けり、
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