Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.4訂正
2000.8.9

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「浮世の有様 巻二」

◇禁転載◇

僧侶取締布令

     
   

    文政十二己丑年十二月十日

近来諸寺院の僧侶一体風俗不宜候哉、道徳殊勝の聞え在之輩は稀にて、不律・不如法の沙汰而已、間々相聞候。都て諸宗之僧徒夫々作法も可有之所、畢竟本山亦は役寺触頭等、身分等閑成故の儀にて可有之候、以来本寺・役寺触頭等にて常々無油断心を付、宗旨得達の僧侶を相すませ、聊も不如法成者、夫々科等も在之配下の示教行届候様、専一に為致可申候。尤本寺・役寺触頭等の内にも、万一不律・不如法之聞在之者、勿論の儀、或は利欲に耽り、寺務の実意疎成歟、亦は一体其器に不当輩は、縦令大地本山の本院たりと云ふとも、聊無容赦巌重に其沙汰可有之事に候。右の趣御沙汰に候間、篤と申談じ、夫々行届、不取締無之様可被致候。右の通寛政元酉年二月、従江戸被仰下候に付、其段摂・河・播三ケ国迄為触知置候処、当表寺院の内、間々不如法の僧も在之趣相聞、於奉行所吟味の上、追々御仕置申付候得共、全本山の寺院当表より手遠にて役寺・触頭等之示教不行届、且不器量之僧猥に一寺住職致し候儀も在之由相聞え候に付、示教行届候様、若又以来如何の風聞有之候はゞ、追々引寄可懸吟味。尤役寺・触頭竝組寺等迄、可為越度旨、当表諸宗役寺僧録・触頭等へ申渡、右に付寺中は勿論、諸宗の僧不如法の儀、及見分候はゞ、其処の者より可訴出候。万一内証に致し置、後日に相聞え候はゞ、急度可及沙汰旨、寛政十午年十一月大坂三郷町中へ相触、其段当表寺院へも相達置候。後尚又同十一未年八月従江戸被仰下候趣竝文化十四丑年七月にも町々在々へ為触知候処、忘却の輩も有之哉、近頃亦々行状不宜風聞有之候に付、尚又為触知候間、触渡の趣弥々無忘却可相守候。此上風聞不相止候はゞ、急度可懸吟味候。此旨三郷町中可触知者也。

  丑十二月 伊賀
       山城
               小(北)組総年寄

 
 
 





右の御触に驚き、俄に梵妻に暇を遣りし寺も有り。又京都其外知るべ有る方へ女を預けしも有り。中には頓著なくて其儘に打過ぎて、行状宜しからざるも有り。一一其罪を糺せば、行状正しきは二三ケ寺に過ぎざれば、一々に召捕り難く、右御触後に不埒なる寺々六十ケ寺計り、夜中密に大塩氏の宅に召寄せ、「罪の次第篤と聞合せ、これを認めし封書を以て、夫々へ相渡し、申開きの筋あらば、開封の上返答に及ぶべし。表立つて吟味を遂ぐべきなれども、愍憫を以て此の如し」となり。坊主共次に下り、何れも之を開き見るに、各々身の上になせる業の悉く記し有るにぞ、一言の申訳なく、「恐入る旨」申すにぞ、「急度御咎の筋なれども、是迄の事をば内々になし遺すべし。已後心得違の事之あるに於ては、罪科に処すべき旨」申聞かせ、許し返されしにぞ、何れも虎口を逃れたる心地にて、引取りしとぞ。

かくても尚止まる事なき寺々を、昨年の冬より春かけて、三十ケ寺計りも御召捕になる。中にも、甚しきは天王寺にて一心寺、千日の慈安寺、生玉の蔓陀羅院、北野にて大融寺・円頓寺・善通寺・建国寺、其余寺号を聞きぬれども、皆忘れたり。曾根崎新地藤井寺、其外所々の寺々、御手当を遁れ、逃失しも多くありしとなり。

円頓寺は法華宗にて無檀地なるが、堂島河内屋善兵衛といへる者、代々此寺を信じ、此寺河内屋にて相続をなせる事なるに、当時の善兵衛母 五十計りといふ。を犯し、是迄寺の立行く程の事為して貰ひぬる上に、此母より是迄数百金の金を取入れぬ。近き頃善兵衛方にて、百五十金紛失して、知れざるにぞ、賊の入りし事も覚えざれば、召使へる者に疑ひをかけ、大金の事なればとて、其旨相届けぬるに、間もなく円頓寺召捕られ、後家の入牢にて、御吟味有りしに、後家より密に此坊主へ遣り、知らざる面にて公儀へ届けなどせし故、邪淫の上、上をたばかりし罪重なり、坊主は邪淫せる上に、かゝる事しで金を取りぬれは、工み事に落ちて、其罪を重ねぬといへり。

善通寺は人の妻を犯し、これも金銭を取る。一心寺も梵妻より外に、重き罪ある由、其余尼寺の住持、子両三人も生めるあり、尤甚しきは、梵妻に、置屋・揚げ屋などさせ、己が娘を芸妓に出だし、男子には肴屋をさせぬる有りし、中にも高津下寺町に北山寿庵が碑あり、寺号忘れたり。寺の南、筋向の寺も、梵妻不如法の事ある故、公儀より之を召捕りに行きぬるに、近辺の住持等大勢参会し、酒肉取り散らし、博奕を為して有りしかば、思はざるに得物多く、寺中は素より捕へに参れしも、案外の事にて人数不足なれば、漸々と之を召捕られしとなり。


多田の満願寺は、大融寺にて開帳をなし、河内の壺坂は、大蓮寺にて開帳をなせしが、御蔭参りにて、これを見向く人さへもなかりし。然るに(満)願寺は、伊丹の先なる中山寺の麓にて、柳屋といへる茶店の娘を抱へ置きぬるを、小性に仕立て、男の姿にやつさせて、開帳中も之を連れ参りしに、寺々召捕られ、己が事も露顕せし事なれば、此娘を密に奈良の方へ預けしが、こゝにも置き難ければ、京の方に隠さんとて、密に連れ帰りぬる途中にて、両人共召捕られ、入牢せしと云ふ。京都にても、炒信寺・智恩院・本国寺・黒谷其余処々にて召捕られ、入牢のよし。近来人気も悪しく、世間大に行詰りて、姦悪の事多かりしにて、刑罰を蒙り剰へ国初 (編者註 国初トハ不都合ナル語ナレドモ江戸幕府ノ初ノ頃ヲ云ヘルナリ)已来、潜み隠れて行ひし切支丹の根葉もなく刈り尽し給ひ、又斯かる邪淫の僧侶迄、皆其罪に服して、万民御代の有難き事を悦びぬれば、御蔭は参宮に限れるにも非ず。寺々不如法の事など此度の伊勢参りに与かれるにてはなしと雖も、神道盛にして火事ありなどとて、騒きぬる者もあるに、戯言番付の中にも、是等の事取込めて記せる事など之有り。これを知らでは分き難き事もあれば、こゝに之を記せるは、其事を分ち、御政道の正しきを、後の世迄も伝へぬる一つの端にもあらんと思へるにぞ、これを書いつけて置きぬ。
 
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こは唯僧の事を云へれど、是のみに非す。女色に限らず男色も世に害ある事多きものなり。夏桀の未喜・殷紂の姐己・周幽の褒似・晋献の驪姫・呉王の西施・衛公の宣姜・何れ其害大なり。又周穆が慈童を愛し、衛霊の弥子瑕・漢高の籍孺・漢哀の董賢・唐韓の吏邦・孟郊・■通・安陽、皆男色の名あり。唐にてはこれを非道と云ひ、竺土にても其事なせる事にて大悲華経の中に、狎■(あふせん)といへり。吾朝にては、若道・衆道など云ひて、弘法が弟真雅が曼陀羅丸 業平の幼名 に懸想し、光源氏、空蝉が弟小君に懸想せし事、文面に見へたり。其余管阿児・竹生島の童子・書写山の乙若など之あり。古より女に限らず、男色の害尤甚しき事ぞがし。故に当書にも、頑童を近づくる事を戒む。僧の身にして五戒第一の邪淫戒を犯しぬる其罪、言を待たずして明らかなり。併し僧のみにもあらす。世人之が為に産を傷ふ者少なからず。故にこれを記せるも、子孫の心得ぺき事にあればなり。恐るべし慎むべし。穴賢(あなかしこ)

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