| 天保八年雑記 |
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| * | 天保八丁酉年の大小を詠める
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天 保 八 年 正 月 の 雑 事 |
新玉の春を迎へぬれども、これ迄と違ひ世間一統に物淋しき事共なり。されども元日・二日ともに天気至つて穏かにて、今年こそ豊年ならんと思はれぬ。 三日雨、四日少雪、五日も同じく雪少し降る。六日・七日も同断なり。夜更て雪多し。 八日の朝に至りては地に積る事三寸計り、九日も少しく雪降る。 十日快晴。十一日霙降る。 四日の夜、淀屋様(橋)にての初相場を聞くに、肥後米一石百五十一二匁 旧冬仕舞相場は、百六十三匁五分なり 同八日堂島にての初相場百五十九匁五分、同九日五十七匁なり。 |
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初 蛭 子 |
初蛭子も分て賑やかなりしか共、何分にも盗賊の徘徊すること甚しき故、夜に入りて参詣する者とては至て少なく、例年の如くにはあらざりしといふ。只諸人打寄りて咄しさへすれば、諸色の高価なると、盗賊の噂と餓死人・行倒者の噂のみにして、余の咄しをなすことなし。 | * |
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豊 前 小 倉 の 火 事 |
正月四日、豊前小倉城中番所より火出でて、天守・矢倉は申すに及ばす、城は残らず外郭迄焼失す。実は家老・用人の中に三四人至て悪き者候より、家中にて之に恨ある者共申合せ、其者共を焼殺さんとて、城の内外共詰り \/迄に焔消を仕掛け置、一時に火を放ちて之を焼立て、火の移らざる所をば悉打潰し廻りしといふ。 〔頭註〕小倉は暗君・愚臣・姦悪の者共上下よく揃ひし家にして、昔より内乱の常に絶ゆることなし。近来領中ヘ課役・用金等を頻に申付け、一統の困窮これをたとふるにものなく、一揆の起れるも宜べなりといふべし。かくの如き程なれば、銀札もつふれ大に困窮に及ぶといふ。され共小倉の城は昔より、九州探題の処なるに、此度焼亡惜むべきことなり。 又一説に、百姓の一揆起り大勢一時起り、城門を打破り放火せしとも。又家中の騒動と百姓の一揆と暗に一時に起り立て、思ふ儘に放火をなしぬる故なりともいふ。何れにも悪政の然らしむる処にして上の不徳といふべし。 |
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五 穀 成 就 御 祈 祷 |
わが為に 何を祈らん天つ神 民安かれと思ふ計りぞ 仙洞法皇 |
の 御 詠 |
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