Я[大塩の乱 資料館]Я
2004.10.22

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

大塩騒動見聞記 その3







当時西御奉行堀伊賀守様入坂に付、先規の通り東御奉行跡部山城守様御案内にて、大坂市中巡見の折柄、当十九日は天満辺巡見にて、向与カ朝岡助之丞屋敷へ御立寄の砌、以炮火両御奉行并諸役人を火殺致し、夫より与力町・同心町不残焼払、打続いて大坂市中富家一円并諸蔵屋敷不残積貯候米・金取出し、近在并大坂貧民共に配散致遣し可申仕組の処、一味の内東組同心平山助次郎変心訴人仕に付、十九日巡見の儀御延引に相成候。依之大塩氏手筈相違致し候処、恒例の輪番にて十八日夜は、瀬田済之助・小泉淵次郎泊番に相当り候に付、夜中山城守様寝所へ忍込み、可討果の処仕損じ、刃を交らへれ、小泉即死致し、瀬田は事不成を見て塀を飛越逃去候。

大塩氏露頴の上刺客の謀もならず、最早猶予難成に付、十九日朝自宅に火を掛け、列を正し打立、夫より与力町・同心町以炮火焼立、東天満・北船場の富家の向へ炮火を放し焼立候に付、黒烟大火焼亡、混乱大方ならず、町家皆々丸焼、身がら計りにて皆々近在へ逃去候。然る処、御城内方両奉行所并近隣の諸大名、追々助勢相加はり、大塩一味の者捕方に御向ひなされ候に付、企存分に整はず、一味の者敗亡仕り候に付、即廿日の晩丑の刻に火鎮まり申候。

尤も一味の者不残甲冑を著し、各々斂戟を持ち、旌旗押立て、大筒・鉄炮・筒火・玉火沢山用意致し、所々にて放火致候へども、米金配散の手筈も相はづれ、最初は後難を気遣ひ候や、追々離散致し、人数次第に減じ、仕組り通には全不整、一味の輩皆々敗北候なり。大塩が勤役中、大坂寺院淫行惰弱の僧竝切支丹の類属流行、竝に団頭長吏等従来の驕奢竝西与力弓削新右衛門頻に賄賂を貪り、非法の捌のみなりしに、大塩氏一々之等の輩を刑獄せられし事有之し故、其功によりて格別の恩賞も可有の処に、少も其儀なく、徒に隠居致されし故、是等の事遺憾の至りに候処、当時飢饉に依つて市民困窮に付て、旧憤忽ち啓発致し、生得の短慮慢心発出せし所より事起りしものならんと、或人の説なり。之れ尤も理ありと云ふべし。

    右は本町或人の筆記せる中よりして、之をこゝに抜出す。総て大塩乱妨の一件は別巻に委しく書記しぬれども、其いへる所少しく理りなきにもあらぬやうには覚ゆ。是等のことも別巻と照らし覧ば、其大抵を知るに足りぬべし。

    此書は彼徒御仕置并諸人御恩賞に預りし始末をおもに記しぬる事なれぱ、其事全からず。之を怪む事なかるべし。又御仕置の事も捨札の写、江戸にての被仰渡ホロ\/に追々に書記し、漸々十月半ばに至り、御奉行所公用人の手控手に入りし故、之と見合せ、其漏たるを書添へぬる事の工重なるも、始め記せしは粗にして後に其審なる事の分りぬるが故なり。されども未だ之にても其全き事を得ざれば、尚追々に其委しきことを聞記し、此事尽きぬるに至らば別巻と照覧し、其内よりして其詳なるを抜萃して、これを一篇となさば其全を得るに至るべし。

 
 


「大塩騒動見聞記」その2
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ