Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.8.7

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

丹波織田家の騒動

 









五月中旬、丹波柏原織田山城守家老鈴木主税と申者召捕られ、京都にて入牢す。主人山城守未だ幼年なる故、之を毒殺し己れが忰を以て之に代らしめんとす。此悪事為んとせるに相迫りぬる時に至り、一味の者より内通に及び露顕せしかども、其騒動せん事を恐れ、密にして一人加賀の屋敷へ馳込みて、これを取鎮むる事を頼みしにぞ、同家よりして京都屋敷へ向けて捕手の者出来り、彼を騙し捕りにせんとす、

織田家近来至つて貧窮の事故、京摂の間にて頻に金を借り入れんとす、され共之迄館入の町人共何れも多くの金を借り納れしのみにて、之を返す事なければ、何れも之を頓著する者なし。然る処此度京都に於いて、柏原の御祓所 御祓所へも銀子入用の事なれば、金を借り出し候様頻に申付けて之迄数々催促をなせしと云事なり。に金を借出し申すべき由、兼ねて言ひ付けてありぬるにぞ、

加賀の捕手之と相計り、「其手筋にて金子程能く出来す。され共一応御家老へ御目に掛り、直に御面談申せし上ならでは相成り難し。御祓処計りの引合にては取引なし難しといへる故、早々上京にて御借入れ然るべし」と言遣りしかば、之を誠なりと心得へて、直に上京せんとて、大勢の供廻引連て柏原を出立す。加賀よりの捕手は途中に待伏し、柏原の領分境にて之を召捕り、大小を取上げ乗物に網打掛け、何の苦もなく之を召捕り、京都へ連帰り所司代へ御手渡しせしと云ふ。

一昨年既に但州出石に於て、仙石左京が悪事有之、其事忽ちに露顕し罪科に行はれぬ。これ隣国の事にして、柏原とは至つて近し。殊に左京松平周防守といへる後楯を丈夫にして姦悪をなしぬれ共、天命遁るゝに道なくして、其罪に伏しぬ。

かゝる前車の覆へれるを見ながら、一己のカにて斯様なる悪事を工みぬること、はかなき者と云ふべし。之とても明君上に有りて賢臣これを輔する時は、此の如き悪人有りと雖も、其悪を施す事なり難し。これ全く上下共に愚人のみ寄集へること故にして、かゝる悪事を生ずるに至る、浅ましき事と云ふべし。其上に程よく内通有りて、其姦計の頭人を知りぬる事なるに、其家にて之を誅する事能はずして、加州を頼みて之を召捕へ、京都へ御引渡となり、公辺を労し奉ること、いかにしても余りに拙き業にして、武門に於て町人・百姓は云ふに及ばず、犬猫までに恥思ふべき事なり。

 
 


「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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