Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.5.3

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次


『洗心洞箚記』 (抄)

その14

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

(改行は管理人が入れたものです。)


洗心洞箚記

箚記自序

余職を辞して家居し、静閑事なし。
復た嘗て読みし所の古本大学を取つて以て講究し、粗(ほ)ぼ其の誠意致知の本色一斑を窺ひ得たり。
乃ち其の微(すこ)しく旧説に異なるを覚ゆ。
(このご)ろ竊に儒先の説を輯録して以て是の経を釈す、因つて名づけて古本大学刮目(くわつもく)と曰ふ。
秘して未だ敢て諸(これ)が我が社の子弟に伝へず、况んや佗(た)をや。
然れども其の斯(こ)の編摩の労に与かる者余に請うて曰く、之を剞(きけつ)に付し、以て世の同士を恵まば、則ち幸甚しと。
余乃ち辞して曰く、何ぞ敢てせん、何ぞ敢てせん。
夫れ自から経に註する固より難し、諸説を折衷して以て之を釈すること尤も難し。
明鑒(めいかん)博雅の君子にあらざるよりは、則ち必ず遺漏贅疣(ぜいいう)の誤りあり。
故に釈せずして可なるもの、而も猶之を釈し、釈せざるべからざるもの、而も反つて之を釈せず。
而て又た其の採り入るる所、或は経と牴牾(ていご)決裂して、佗解(たかい)の如きものあり。
則ち独り経を賊するのみならず、終に併せて儒先解経の累を胎(のこ)すに至るなり。
余の輯録する所のもの、恐らくは当(まさ)に斯の罪あるべし。
故に若し此れを以て世に伝へば、則ち百毀千謗、蜂起矢集(ししふ)せんこと、豈免るるを得んや。
是に於て悔ゆとも亦た既に晩(おそ)し。
故に梓(し)して悔いんよりは、何ぞ梓せずして悔ゆる無きに如かんや。
昔者(むかし)伊川程子、其の中庸自註を火(や)く。
朱子其の死前三日、猶改本大学の誠意章を改む。
而て陽明先生嘗て五経臆説を著はすと雖も、今世に伝はるものは、其の十三條と自叙と、僅に之を遺文中に見るのみ。
其の全文の如きは、則ち先生既に自ら秦火に付すること久しと謂へり。
経に註するの難き、大賢に在つても猶此(かく)の若し、况んや吾が輩諸説を折衷して以て之を釈するをや。
必ず向(さ)きに謂へる所の罪を免れざること断じて知るべし。
故に何ぞ敢て剞に付することを為さん。
(か)の斯の学に志ある者の若きは、写 して以て閲(けみ)するも可なり。
而も猶已むなくんば則ち其れ唯だ箚記か。
余の箚記は僣して河東の読書録、寧陵の呻吟語及び寒松堂庸言等に傚(なら)ひ、目の触るる所、心の得る所ある毎に、之を筆(ひつ)して以て自から警(いまし)め、又以て子弟の憤を助発せるのみ。
故に子弟の転写の労を省せんが為めに胥謀(あひはか)つて諸(これ)を梓に上し、家塾に蔵して世に公にせずんば、則ち安(いづく)んぞ之を許さざるを得んやと。
請ふ者曰く、諾、彼れを舎(す)てて此れを梓すること、将に命に従はんとす。
然りと雖も、将来若し世に漏出せば、則ち百毀千謗、必ず此れは彼れより甚しからん。
何となれば則ち先生の学を論ずる、人情に協(かな)はざるもの五あり。
一に曰く、太虚。
二に曰く、致良知。
三に曰く、気質を変化す。
四に曰く、死生を一にす。
五に曰く、虚偽を去る。
夫れ太虚は釈老に似る。
致良知は朱学に敵す。
気質を変化するは客気勝心者の難(かたん)ずる所。
死生を一にするは凡庸怯惰の輩の忌む所。
而て虚偽は則ち中人已下、无始(むし)の妄縁の血肉間に(ざんわ)せざるもの鮮(すくな)し。
故に一として其の意に逆はざるなし、世の悪(にく)みを免(まぬが)れんと欲するも得んや。
百毀千謗此れは彼れより甚しとの云ひは此を以てなり、先生宜しく三思すベしと。
余対(こた)へて曰く、誠に然り、誠に然り。
而て子等此の五者を以て先賢の成語と為すか、又た我れの創説と謂(おも)ふか。
我れの創説ならば、則ち宜しく後慮あるべきなり。
先賢の成語にして、而て吾れ特に之を発揮するのみならば、則ち又た何ぞ患ふるに足らんや。
况んや此れは刮目の一経を釈する如きにあらざるをや。
是を以て未だ嘗て経を賊すると儒先解経の累を貽(のこ)すとの罪あらざるなり。
要するに一家言なるのみ。
故に縦ひ百毀千謗我れに萃(あつま)るも、亦た何ぞ避けん、必ず我れを益するものあらん。
世の我れを教ふる良師友、其の百毀千謗より過ぐるはなし。
是れ余人に望むや尚(ひさ)し、子等决(さだ)めて之を梓せよと。
是に於て我が社の二三子、資を捐(す)てて遂 に諸(これ)を家塾に刻す。
日ならずして工竣(こうをは)る。
因つて簡端に題し、其の彼れを舎(す)てて此れを梓する所以の由を説く。
而て巻は上下二編に分つと云ふ。

 天保四癸巳(みづのとみ)夏四月大塩後素洗心洞無人処に書す

   【原文(漢文)略】


『洗心洞箚記』目次/その13/その15

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次

玄関へ