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2003.5.10

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『洗心洞箚記』 (抄)

その15

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

(改行は管理人が入れたものです。)


洗心洞箚記

後自述

道の大原は天より出づ。
而て由子路の名徳を知る者鮮(すくな)しと。
則ち道徳は乃ち聖学の極致たり。
而て天の太虚又た其の原本たること、居ながら知るべきなり。
然り而て中人已下は、教あるにあらずんば、則ち其の極致原本を窺ふ能はず。
故に孔門其の教に四あり、曰く文・行・忠・信。
其の則(のり)は乃ち詩・書・執礼。
詩書執礼の中(うち)文行忠信を為(をさ)むる所以の目あり。
而て要は各々其の性の近き所よりして入る。
先儒の請はゆる理は只だ一件なり。
人の根器斉(ひと)しからず、宜しく知織の処より入るべきは、則ち教ふるに文を以てし、宜しく践履(せんり)の処より入るべきは、則ち教ふるに行を以てし、宜しく己を尽す処より入るべきは、則ち教ふるに忠を以てし、宜しく物に孚(ふ)するの処より入るべきは、則ち教ふるに信を以てす。
猶造化の万類を甄陶(けんたう)し、而て物に随うて形を賦するがごとしと云ふ。
因つて以為(おもへ)らく、文は便(すなは)ち是れ道徳太虚の華(くわ)なり、行は便ち是れ道徳太虚の実なり、忠と信とは是れ道徳太虚の質なり。
而て道徳太虚は乃ち化して詩書執礼と為るなり。
故に道徳太虚を離れて別に文行忠信あるにあらざるなり。
故に又た道徳太虚を離れて別に詩書執礼あるにあらざるなり。
然り而て聖人と雖も、一たび言詮(ごんせん)に落つれば、則ち其の弊必ず生ず。
故に後の浮文にして実なき者、是の文を仮つて以て口実と為す。
冥行して著ならざるもの、是の行を仮つて以て口実と為す。
忠信にして学を好のまざる者、是の忠信を仮つて以て口実と為す。
而て詩書執礼、亦た各々弊あり。
其の是に至つては、道徳太虚の微乃ち隠れ、而て聖人の意亦た荒(すさ)む。
夫れ聖人固より其の弊将来に盛なるを知る。
故に曰く、文質に勝てば則ち史、文は吾れ猶人のごときこと莫(なか)らんや、躬(み)に君子を行ふは則ち吾れ未だ之を得るあらずと、是れ乃ち其の浮文の弊を予防するなり。
曰く、蓋(けだ)し知らずして之を作(な)す者あらん、我は是れ無きなりと、是れ乃ち冥行の弊を予防するなり。
曰く、十室の邑、必ず忠信丘(きう)の如き者あり、丘の学を好むに如かざるなりと、是れ乃ち忠信にして学を好まざる者の弊を予防するなり。
而て詩書執礼の弊も亦た載記経解に見ゆ。
吾れ故に曰く、聖人と雖も一たび言詮に落つれば、則ち其の弊必ず生ずと、此を以てなり。
鳴呼、之を総(す)ぶるに忠信の人と雖も、然も学を好まざれば、則ち孔子の坊を潰決するに庶(ちか)し。
(しか)るを况んや浮文冥行の人をや、况んや徒に詩書執礼を学ぶ者をや。
而て其の好学の二字、一は則ち孔子自から言ひ、二は則ち顔手を称するに之を以てし、而て未だ嘗て之を其の余人に許さず、則ち其の重きこと知るべし。
是の故に人孔門の四教を奉遵し、以て詩書執礼に従事すと雖も、然れども其の好学の訣を知らざれば、則ち将に其の性の近き所より入らんとして、而て却て其の性近き所に偏し、以て道徳太虚の微を窺ふを得ず、遂に浮文冥行忠信にして学を好まざるの(くわきう)に落ち、而て一生出頭跳身する能はず。
古往今来、其の人数ふるに堪へず、是れ豈惜むべからざらんや。
故に後進者は、好学の訣を知らざるべからざるなり。
而て訣とは何ぞや、孔子の空空、顔子の屡空、是れのみ。
而て其の工は、則ち不善あれば未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復た行はざるの外、更に別工(べつこう)無し。
是れ則ち孔子の請はゆる致知なり、慎独なり。
而て中人已下と雖も、学を好むこと好色を好むが如く、実心己の為めにせば、則ち必ず真に其の道徳亦た天の太虚に出づるを覚らん。
而て事事其の知を致さば、則ち意必固我(いひつこが)忿恐懼(ふんちきやうく)、好学憂患(かうがうゆうくわん)等の諸翳、雲散烟消し、而て天の太虚果して吾が方寸の間に在るを見ん。
是れ難きに似て離きにあらず。
故に孔子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば斯に仁至ると。
又曰く、能く一日其の力を仁に用ふるあらんか、我れ未だ力の足らざるものを見ずと。
夫れ仁は虚より生ず、故に仁は則ち虚、虚は則ち仁、固より二あるにあらざるなり。
故に今太虚を挙ぐれば、則ち仁其の中に在り。
(か)の文行忠信及び詩書執礼の如きは、要するに皆亦た太虚の途逕階梯(とけいかいてい)に帰せんのみ。
予の不肖、奚(なん)ぞ之を実得するに足らん。
然れども向に仕路に在り、聴訟断獄の問に於て、一二虚景を発明し来る。
がつ故に曾て蔵刻する所の洗心洞箚記は、太虚の妙と、太虚に帰する所以の工とを解くこと煩数(はんさく)に堪へず。
而も反つて五倫に論及すること亦た罕(まれ)なるは何ぞ、此れ則ち以て篤く四教及詩書に倍(そむ)倍或は信の誤りか く諸儒の説に備ふるの故なり。
然れども五倫は太虚にあらざれば則ち皆偽のみ。
太虚なれば則ち五倫各々其の正を得て、而て道徳其の中を貫く。
嘗て竊に諸(これ)を董子諸葛等の群賢に質すに、其の説小異ある如しと雖も、其の天を尊ぶに於けるや皆一なり。
故に其の要語を取つて以て巻末に載す。
乃ち臆断の説にあらざるを明らかにするなり。
而て始め其の刻の成るや、諸弟子(ていし)に授け、又た以て有志の人に贈りしのみ、而て敢て諸(これ)を世に公にせんことを欲せざりしなり。
頃者(このごろ) 書肆積玉圃(ほ)来つて曰く、世既に洗心洞箚記あるを知れり、故に間(まゝ)書肆に就いて以て之を購求せんことを要する者あり。
願くは諸を世に公にせよ、独り書肆利を得るのみならず、学人も亦た当(まさ)に 必ず大いに益あるべしと。
予因つて再び之を思ふ、其の世に示すは、固より素志にあらず。
然れども世に示さざれば、則ち其の及ぶ所のもの自から広からず。
及ぶ所広からざれば、則ち道徳太虚の微を覚らずして終る者、亦た自から少なからざらんか。
同胞にして之を坐視するに忍びんやと。
是に於て幡然として改め、而て蔵刻の板を出だし以て之を与ふ。
而て又た之に請ひて曰く、汝等随意以て之を購ふ者に售(う)れ。
(も)し利を獲(う)るあらば、其の利を以て乃ち別に舶来聖賢の書を翻刻し、 却つて復た吾が輩を嘉恵(かけい)せよ。
則ち其の益を得るや、財貨に踰(こ)ゆること万倍ならん。

 天保六乙末夏四月復洗心洞に題す

   【原文(漢文)略】


『洗心洞箚記』目次/その14/その16

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