山田準『洗心洞箚記』(本文)10 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.1.27

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『洗心洞箚記』 (本文)

その10

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    ●            ●りやうこう 一五  慎独と克己とは、両功なきが如しと雖も、易         かう   すなは        ぞく   れい   の三百八十四爻は、便ち是れ慎独の工に属す。礼       の三百三千は、便ち是れ克己の工に属す。然り而       どく           おのれ     をは   して真に独を慎めば、則ち己に克ち了る。実に己         どく   に克てば則ち独を慎み了る。始より両功なし。故   に三百八十四爻は、礼の体なり、三百三千は、易           げん       もと   の用なり。体用一源、皆道に原づくなり。夫れ道   なるものは、太虚のみ。故に学んで太虚に帰すれ         のうじ をは   ば、則ち人の能事畢る。    慎独克己、雖両功、易三百八十四爻、    便是属慎独之工、礼三百三千、便是属克己之    工、然而真慎独則克己了、実克己則慎独了、    始無両功、故三百八十四爻、礼之体也、三百    三千、易之用也、体用一源、皆原於道也、夫    道也者、太虚而已矣、故学而帰乎太虚、則人    能事畢矣、


前章に出づ。

両功。二つの
しごと。

三百八十四
爻。卦の横画、
易は八卦が六十
四卦となり、一
卦六爻が三百八
十四爻となる。

工。功に同じ、

三百三千。中
庸に経礼三百威
儀三千とあり。

体用一源。本
体と作用とは同
一源流にして、
別物に非ず。


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