山田準『洗心洞箚記』(本文)9 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.1.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その9

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

   じゆくすい    ざつらんあいだく          かくじ さくしご 一三 熟睡夢中、雑乱穢濁なるは、乃ち覚時の作止語   もく みづかどくち  あざむ  かげ   黙自ら独知を欺くの影のみ。而て誠に独知を欺か               しじん           ざるの境に到れば、則ち至人なり。故に曰く、至     ゆめ                     か   人は夢無しと。夢なきにあらず、夫の雑乱穢濁の         ふゑつ       夢なきなり。伝説を夢み、周公を夢みる如きは、   則ち至人にあらざれば亦た此れなし。    熟睡夢中、雑乱穢濁、乃覚時作止語黙自欺独    知之影焉耳、而到於誠不独知之境則至    人、故曰至人無夢、非夢、無夫雑乱穢濁    之夢也、如伝説周公、則非至人亦    無此矣、                しんどくこくき 一四 人心太虚に帰するは、亦た慎独克己よりして入                       ぜん   る。もし慎独克己よりして入らずんば、則ち禅学    きよまう       ごうり   の虚妄なり。謂はゆる毫釐千里なり。故に心学者   やゝ   動もすれば之を誤るなり。    人心帰乎太虚、亦自慎独克己而入焉、如不    自慎独克己而入、則禅学虚妄、所謂毫釐千    里、故心学者動誤之也、


作止。事を作
し、又た止める。

独知。独り知
れる心。

至徳の人夢な
し、准南子に見
ゆ。

伝説。殷の高
宗、夢に因つて
用ひたる賢人。

論語に見ゆ。













慎独。大学、
中庸に見ゆ、心
の上を慎しむ。

論語に孔子が
顔淵に答へて
「己に克つ」と
あり。

毫釐千里。些
少のことが大相
違を来たす。


高瀬武次郎「大塩中斎」その24


『洗心洞箚記』(本文)目次/その8/その10

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