山田準『洗心洞箚記』(本文)101 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.5

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『洗心洞箚記』 (本文)

その101

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                  いだ 一二七 孟子曰く、「人臣たる者、利を懐いて以て其  の君に事へ、人の子たる者、利を懐いて以て其の父  に事へ、人の弟たる者、利を懐いて以て其の兄に事  ふ。これ君臣父子兄弟終に仁義を去り、利を懐いて  以て相接す。然り而て亡びざる者、未だこれ有らざ  るなり」と。世の臣子弟たる者、之に似ざらんや。  又た曰く、「人臣たる者仁義を懐いて以て其の君に  事へ、人の子たる者、仁義を懐いて以て其の父に事  へ、人の弟たる者、仁義を懐いて以て其の兄に事ふ。  これ君臣父子兄弟、利を去り、仁義を懐いて以て相  接するなり。然り而て王たらざる者未だこれあらざ  るなり」と、世の臣子弟たる者、之に似んか。而て  臣子弟たる者の、或は利を懐き、或は仁義を懐く、                   是れ孰か之を主張するや。果して天か、抑々人か。  人なれば則ち聖道に法らずして、而て臣子弟たる者、       安んぞ彼れを出で此れに入るを得んや。然り而て孟           しんへん  子の言は、臣子弟の鍼なり。   孟子曰、「為人臣者、懐利以事其君、為人   子者、懐利以事其父、為人弟者、懐利以事   其兄、是君臣父子兄弟、終去仁義、懐利以相   接、然而不亡者。未之有也、」世之為臣子弟   者、不之耶、又曰、「為人臣者、懐仁義   以事其君、為人子者、懐仁義以事其父、   為人弟者、懐仁義以事其兄、是君臣父子兄   弟、去利、懐仁義以相接也、然而不王者、未   之有也、」世之為臣子弟者、似之耶、而為   臣子弟者之或懐利、或懐仁義、是孰主張之   耶、果天乎、抑人乎、人則不於聖道、而為   臣子弟者、安得彼入此也哉、然而孟子之言、   臣子弟之鍼也、



孟子告子下篇
に出づ。
























天性か、人為
か。

仁義を出でて
利に入る可らざ
るをいふなり。

。皆針医
の用ふる針なり、
昔は石にて作る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その100/その102

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