山田準『洗心洞箚記』(本文)105 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その105

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    ぎしん       がい  一三二 魏晉の人物、概して靡文を以て之を目すべか     りくしかう  えんれんしゆ  らず。陸士衡が演連珠に曰く、「煙は火より出づる              も、火の和にあらず。情は性より生ずるも、性の適          さう            び       じう  にあらず。故に火壮なれば則ち煙微なり、性充すれ    やく  ば情約なり」と。之を宋元の大儒の語に混ずるも、     べん  殆んど弁ずべからざるものは、他なし、性情の説に       於て、易ふべからざる故なり。   貌晉之人物、不概以靡文之、陸士衡演連   珠曰、「煙出於火、非火之和、情生於性、   非性之適、故火壮則煙微、性充則情約」、混之   宋元大儒之語、殆不弁者、無他、於性情之   説易故也、


魏晉。後漢の
次の代。

靡文。靡麗浮
華の文。

陸士衡。晉の
名文家陸機、其
の作演連珠は、
文選に出づ。

情は性より云
々。性が調適す
れば性は静まり、
又た性が充実す
れば情が引締ま
る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その104/その106

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