山田準『洗心洞箚記』(本文)106 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その106

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    ●     ●ねんだいりう      ほこ 一三三 張楊園、念台劉子に学ぶ、而て戈を以て室に                      けいかう  入るものなり。何となれば、良知を以て直情径行と      あゝ       もと           なせり。吁、何ぞ其の言の悖れるや。それ良知は不  がく  りよ  学不慮の良心のみ、性なり、情にあらざるなり。而  て直情は乃ち性にあらず。然るに性の良を以て直情                 ねん  かゝ  となすは何ぞや。これ全く愛悪の念に係る、故に其    ふ    こゝ  の誣一に此に至る。慎しまざるべけんや。   張揚園学於念台劉子、而以戈入室者也、何者、   以良知直情径行、呼、何其言之悖也、夫良   知、不学不慮之良心耳、性也、非情也、而直情   乃非性矣、然以性之良直情何也、是全係   乎愛悪之念、故其誣一至于此、可慎哉、


張揚園。清の
張履祥、揚園と
号す。

念台。明末の
陽明学者劉宗周、
念台又山と号
す、国事に勤め
て餓死す。

戈を以て云々。
其の師に背くを
いふ。

直情径行。情
のおもむく生ま
に、勝手に行ふ
こと。

不学不慮。孟
子尽心上篇の語。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その105/その107

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