山田準『洗心洞箚記』(本文)110 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.14

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その110

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

          けいがく 一三八 詩文を作る、経学家以て非と為すは、恐らく         りくけい  は亦た非なり。六経は便ち是れ聖人の詩文なり。故  に学人先づ其の良知を明らかにして、而て平日心に うん           蘊する者を以て、物に触れ事に感じ、吐いて詩文と  なせば、則ち詩文は乃ち学を助く、聖道に於て何の  害かこれあらん。もし亦た良知を明らかにせず、而                 ほまれ  て徒に筆墨を弄し、以て名を売り誉を求むれば、則        はいち      てうちう   ぎ  ち道と大いに背馳す。要するに彫虫の小技と為す、  豈惜しむべきにあらざらんや。   作詩文、経学家以為非者、恐亦非也、六経便   是聖人之詩文也、故学人先明其良知、而以平   日蘊於心、触物感事、吐為詩文、則詩文   乃助于学、於聖道何害之有。若亦不良知、   而徒弄筆墨、以売名求誉、則与道大背馳、要   為彫虫小技、豈非惜乎、





六経。詩、書、
礼、楽、易、春
秋を云ふ。

蘊。蘊蓄。







彫虫。揚雄の
法言に「文章は
彫虫の小技」と
あり、虫が木を
刻むやうな、小
細工。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その109/その111

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ