山田準『洗心洞箚記』(本文)114 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.1.21

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その114

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

            ●      ●けん   ぐわ 一四二 伝習録に曰く、「九川病に虔州に臥す、先生         たゞ       さと         こた  云ふ、病物亦た格し難し、覚り得ること如何と。対        くふう             へて曰く、功夫甚だ難しと。先生曰く、常快活便ち  これ功夫」と。陽明先生の説の如く、而て後時とな                      く処として学ならざるなきを信ず。之を充つれば則            くわくわん  ち身を殺して仁を成すの禍患も、亦た只だ是れ快活          たと  のみ、然らざれば縦ひ忠死すとも、之を仁と謂ふべ  けんや。   伝習録曰、「九川臥病虔州、先生云、病物亦難   格、覚得如何、対曰、功夫甚難先生曰、常快活、   便是功夫」、如陽明先生之説、而後信時無   処不学、充之則殺身成仁之禍患、亦只是快活、   不然縦忠死、可之仁哉、


伝習録。王陽
明の語録、門人
の筆録する所。

九川。陳九川
王陽明の門人。

虔州。江西省
にあり。

病物。病も物
なり。

常快活。いつ
もほがらかなる
こと。

身を殺して云
々。論語衛霊公
篇に見ゆ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その113/その115

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ