山田準『洗心洞箚記』(本文)116 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.1.23

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『洗心洞箚記』 (本文)

その116

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

              きおう 一四四 黙坐瞑目して、而て既往の事を追思すれば、  則ち是非善悪、記する如く、忘るる如く、茫茫乎と      とら      とら      じつう     くわ  して雲を捉へ風を捕ふるごとく、実有にあらず。過                いまし  去は之を思ふも何の益かあらんの誡め、是に於てか  さと  う  あふ          ふ    おも  覚り得。仰いで想ひ、俯して惟ひ、以て将来の事を おくたく       えうじゆ      よ き  億度するに、夭寿禍福、予期すべからず、昧昧乎と  して夜中の山を望むごとく、真見にあらず、未来は                       之を思ふも何の益あらんの訓、具に於てか醒め了る。  然らば則ち現在上に於て、心を正して以て君に事へ、  父に事へ、忠を尽し、孝を尽し、而て余善を尽すの      じつう しんけん         りんじよう  外、更に実有真見の事なし。因て聖教の倫常世に用       しやく げんばう  あり、而て釈学の幻妄人に無用なるを知るべきなり。   黙坐瞑目、而追思既往事、則是非善悪、如記如   忘、茫茫乎捉雲捕風、非実有、過去思之何益   之誡、於是乎覚得、仰想俯惟、以億度将来事、   夭寿禍福、不予期、昧昧乎望夜中山、非真   見、未来思之何益之訓、於是乎醒了、然則於   現在上、正心以事君事父、尽忠尽孝、而尽   余善之外、更無実有真見之事矣、因可聖教   之倫常用乎世、而釈学之幻妄無用乎人也、




雲を捉へ云々。
手中に何物もな
し。

過去云々。伝
習録陸澄所録に
「過去未来の事、
之を思ふも何の
益あらん」とあ
り。

億度。おもん
ばかり、はかる。





倫常。五倫、
五常。

幻妄。あやま
れること。ここ
では仏教の現在
を仮とし、三世
を説くを指す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その115/その117

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