人 ●にちかん
一四七 或予に謂うて曰く、伝習録に曰ふ、「日間の
ふんぜう ものう
工夫紛擾を覚ゆれば、則ち静坐せよ。書を看るに懶
か み
きを覚ゆれば、則ち且つ書を看よ、是れ亦た病に因
●せんれつ
つて薬するなり」と、剪劣某の如き者は、其の難き
を覚ゆと。曰く、紛擾は人欲の道心を害するなり。
し こ
覚るとは、良知之を照らすなり。常人は日間私己多
し、故に心紛擾す。良知之を覚れば、則ち静坐して
● ●ばんしやう
未発以前の気象を観よ、則ち乃ち万象皆賓客と為ら
ものう だ き
ん。懶きは、亦た人欲なり。常人は平日惰気多し、
し
故に書を看るに懶し。良知之を覚れば、則ち反て強
し
ひて書を看よ。而て古人にこれ如かず、性命の全か
ふん
らざるを知り、是に於て必ず憤発するものなり。病
ねつ い ●せうわう
に因つて薬すとは、熱の胃に伝はるものは、硝黄を
くだ い
以て之を下し、終に愈ゆるを得るがごとし。もし又
●ようい おぎな
た庸医の説を用ひ、之を捕はば則ち死せん。故に紛
擾の静坐、懶きの書を看る、皆硝黄なり。故に君子
は之を勉む、常人は之を勉めず。是を以て賢は益々
ざぜん●にふじやう
賢に、愚は益々愚となる。且つ静坐は坐禅入定にあ
●あした ゆふべ
らざるなり。朝に道を聞かば夕に死すとも可なり等
まうねん
の語を以て、之を心に加へ、其の妄念を去る、是れ
くわし ● ふく
乃ち静坐の一法なり。詳くは高忠憲の復七説に出づ、
し
子等之を一見せよ。
或謂予曰、伝習録曰、「日間工夫覚紛擾、則静
坐、覚懶看書、則且看書、是亦因病而薬、」
剪劣如某者、覚其難、曰、紛擾者、人欲害道
心也、覚者、良知照之也、常人日間多私己、
放心紛擾、良知覚之、則静坐而観未発以前之気
象、則乃万象皆為賓客、懶者、亦人欲也、常人
平日多惰気、故懶看書、良知覚之、則反強看
書、而知古人之不如、性命之不全、於是焉必
憤発者也、因病薬者、猶熱伝胃者、以硝黄下
之、終得愈、若又用庸医之説、補之則死矣、
故紛擾之静坐懶懶之看書、皆硝黄也、故君子勉
之、常人不勉之、是以賢益賢、愚益愚、且静坐
非坐禅入定也。以朝聞道夕死可矣等之語、加
之于心、去其妄念、是乃静坐之一法也、詳出
于高忠憲復七説、子等一見之、
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●陸澄所録に出
づ。日間は日常
に同じ。
●剪劣。剪は翦
を本字とす、浅
劣に同じ。
●喜怒哀楽未発
前なり、中庸に
本づく。
●万象云々。心
が主人となつて
万事を扱う。
●硝黄、劇薬。
●庸医。未熟な
医者。
●入定。静慮を
定といふ、坐禅
して思慮を絶つ。
●朝に云々。論
語里仁篇の語。
●高忠憲。明末
の学者高攀龍、
忠憲と謚す、東
林党を率ゆ、復
七説は其の著高
子遺書三巻中に
あり。
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