山田準『洗心洞箚記』(本文)119 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.1.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その119

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                    にちかん 一四七 或予に謂うて曰く、伝習録に曰ふ、「日間の    ふんぜう                  ものう  工夫紛擾を覚ゆれば、則ち静坐せよ。書を看るに懶            か      み  きを覚ゆれば、則ち且つ書を看よ、是れ亦た病に因            せんれつ  つて薬するなり」と、剪劣某の如き者は、其の難き  を覚ゆと。曰く、紛擾は人欲の道心を害するなり。                       し こ  覚るとは、良知之を照らすなり。常人は日間私己多  し、故に心紛擾す。良知之を覚れば、則ち静坐して                ばんしやう  未発以前の気象を観よ、則ち乃ち万象皆賓客と為ら    ものう               だ き  ん。懶きは、亦た人欲なり。常人は平日惰気多し、                          故に書を看るに懶し。良知之を覚れば、則ち反て強                  ひて書を看よ。而て古人にこれ如かず、性命の全か               ふん  らざるを知り、是に於て必ず憤発するものなり。病           ねつ  い        せうわう  に因つて薬すとは、熱の胃に伝はるものは、硝黄を      くだ        い  以て之を下し、終に愈ゆるを得るがごとし。もし又   ようい        おぎな  た庸医の説を用ひ、之を捕はば則ち死せん。故に紛  擾の静坐、懶きの書を看る、皆硝黄なり。故に君子  は之を勉む、常人は之を勉めず。是を以て賢は益々                   ざぜんにふじやう  賢に、愚は益々愚となる。且つ静坐は坐禅入定にあ        あした     ゆふべ  らざるなり。朝に道を聞かば夕に死すとも可なり等                 まうねん  の語を以て、之を心に加へ、其の妄念を去る、是れ            くわし      ふく  乃ち静坐の一法なり。詳くは高忠憲の復七説に出づ、    子等之を一見せよ。   或謂予曰、伝習録曰、「日間工夫覚紛擾、則静   坐、覚書、則且看書、是亦因病而薬、」   剪劣如某者、覚其難、曰、紛擾者、人欲害道   心也、覚者、良知照之也、常人日間多私己、   放心紛擾、良知覚之、則静坐而観未発以前之気   象、則乃万象皆為賓客、懶者、亦人欲也、常人   平日多惰気、故懶書、良知覚之、則反強看   書、而知古人之不如、性命之不全、於是焉必   憤発者也、因病薬者、猶熱伝胃者、以硝黄   之、終得愈、若又用庸医之説、補之則死矣、   故紛擾之静坐懶懶之看書、皆硝黄也、故君子勉   之、常人不之、是以賢益賢、愚益愚、且静坐   非坐禅入定也。以朝聞道夕死可矣等之語、加   之于心、去其妄念、是乃静坐之一法也、詳出   于高忠憲復七説、子等一見之



陸澄所録に出
づ。日間は日常
に同じ。


剪劣。剪は翦
を本字とす、浅
劣に同じ。





喜怒哀楽未発
前なり、中庸に
本づく。

万象云々。心
が主人となつて
万事を扱う。






硝黄、劇薬。


庸医。未熟な
医者。 




入定。静慮を
定といふ、坐禅
して思慮を絶つ。

朝に云々。論
語里仁篇の語。

高忠憲。明末
の学者高攀龍、
忠憲と謚す、東
林党を率ゆ、復
七説は其の著高
子遺書三巻中に
あり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その118/その120

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