人 ● ひと
一四八 或、伝習録中に謂はゆる良工心独り苦しむの
し ●はん べうだう
気象を問ふ。曰く、子聞かずや、范文正公、廟堂の
高きに居れば、則ち其の民を憂へ、江湖の遠きに処
れば、則ち其の君を憂ふ。進むも亦た憂へ、退くも
お ●
亦た憂ふ、良工の心是に於て推すべし。而て文中子
ぞくけい かんぎ ずゐたう およ
の続経、豈亦た容易ならんや。漢魏より隋唐に迄ぶ
かみ しも
まで、道・上に明らかならず、俗下に美ならず、子・
しい ほうたうほんぱ
父を弑し、臣・君を弑し、其の勢崩濤奔波の如く、
こゝ きよ
救ふべからざるに至る。是を以て読経の挙あり、是
あ や
の時に遇へば是の事あり、聖賢已むを得ざるの苦心
むさぼ
のみ、豈亦た名を好み利を貪ること小人の儒の如く
●くわいあん
ならんや。其の余晦菴先生の敬に居り理を窮むる、
陽明先生の良知を致す、亦た復た然るのみ。而て吾
とうてつ
が輩未だ明徳親民表裏内外洞徹の功を積まず、如何
こうぜつ
ぞ口舌の際、良工の心を窺ひ得ん。而も真に学を勉
●くわんき
めば、則ち他日必ず倶に管窺あらん。
或問伝習録中所謂良工心独苦気象、曰、子不
聞乎、范文正公居廟堂之高、則憂其民、処江
湖之遠、則憂其君、進亦憂、退亦憂、良工之
心、於是可推矣、而文中子之続経、豈亦容易哉、
漢魏迄隋唐、道不明於上、俗不美於下、子
弑父、臣弑君、其勢如崩濤奔波、至不可救
也、是以有続経之挙、遇是時有是事、聖賢
不得已之苦心焉耳、豈亦好名貪利如小人儒
哉、其余晦菴先生之居敬窮理、陽明先生之致
良知、亦復然而已、而吾輩未積明徳親民表裏
内外洞徹之功、如何口舌之際、窺得良工之心、
而真勉学、則他日必倶有管窺焉、
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●良工云々。徐
愛所録に見ゆ、
王子門人が文中
子続経の意を問
へるに答へて此
言あり。
●范文正。宋の
名臣范仲淹、文
正と謚せらる、
廟堂云々の語、
岳陽楼記に出づ。
●文中子云々。
隋の大儒王通、
文中と謚す、其
の書を文中子と
いふ、別に古経
に続いて書を著
はし誹議を招く。
●晦庵。朱子。
●管窺。管の穴
より天をのぞく、
発明の謙辞。
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