山田準『洗心洞箚記』(本文)121 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.2.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その121

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                えんぺい 一四九 弟子問ふ、先生嘗て曰く、「延平先生云ふ、                    理に当つて私心無しと、是の説自ら好し。而て今人  或は外面理に当るが如き者あり、然れども果して私                  けんち  心無しと謂ふべからざるなり」と。乾知竊かに考ふ、  伝習録に曰く、「心は即ち理なり、私心無くば即ち  これ理に当る、未だ理に当らざれば、便ちこれ私心            わか  なり。もし心と理とを析ちて、之を言はば、恐らく  は亦た未だ善ならず」と。今之を先生の言に推すに、  かへ       わか  反って心と理とを析ちて二と為すが如し、何ぞや。  答へて曰く、延平先生の説は、本と是れ仁を解す。  仁は心の本体にして、即ち理なり、即ち私心無きな         わか  り。心理固より析つべからず。但だ当人或は孝悌と          たいてい          称するものあり、大抵名心利心の上より做し来る。         やゝ  則ち其の行ふ所稍理に当る如しと雖も、安んぞ私心  無しと謂ふを得ん。吾が前日の言は、常人に就て説  く、其の本体を説くにあらざるなり。故に理に当つ  て而て私心無きは、天理の極に純なるものにあらず           なんじ すべか  んば能はざるなり。爾等須らく私心なきを要すべし。             ●         ●きう\/や  中庸の戒慎恐懼は、即ち其の功なり。久久息まずん  ば、乃ち仁の地に至るを得ん。然らずんば事事理に                ぎしう  当るを要するも、亦た只だ其れ義襲して取るものな  り。   弟子問、先生嘗曰、「延平先生云、当理而無私   心、是説自好、而今人或有外面如理者、然   不果無私心也」、乾知竊考、伝習録曰、   「心即理也、無私心、即是当理、未理、便   是私心、若析心与理言之、恐亦未善」、今推   之先生之言、反如心与理為二、何也、答   曰、延平先生之説、本是解仁、仁者心之本体、   即理也、即無私心也、心理固不析矣、但常   人或有孝悌、大抵従名心利心上做来、   則其所行雖稍当理、安得私心、吾前   日之言、就常人説、非其本体也、故当理   而無私心、非於天理之極能焉也、爾   等須私心、中庸之戒慎恐懼、即其功也、   久久不息、乃得乎仁地、不然要事事当理、   亦只是義襲而取者也、



先生。大塩中
斎を指す。

延平云々。延
平は朱子の師李
、此れ延平の
仁を解する語、
伝習録陸澄所録
に出づ。

乾知。中斎の
門人松本乾知。
『洗心洞箚記』跋























其の功。其の
手段、方法。

久久。長くか
かつて。

義襲。心が熟
せずして無理に
取ること、孟子
浩然の気の章に
集義に対して義
襲の語あり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その120/その122

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