山田準『洗心洞箚記』(本文)124 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.1

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『洗心洞箚記』 (本文)

その124

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

     くも      は     わ 一五二 昨陰りて今晴る。予れ偶々弟子と園地を歩み、  忽ち天を仰いで曰く、今は即ち陰りて、而て昨は乃             おどろ  ち晴れたるかなと。弟子駭いて曰く、先生豈狂する  か、今は晴れて反つて之を陰ると謂ひ、昨は陰りて                      なんじ  反て之を晴ると謂ふは何ぞやと。曰く、これ輩の                         知る所にあらざるなり。夫れ今の晴れは、特に散ず              あつま  るのみ、咋の陰るは、只だ聚るのみ。今散ずと雖も、  其の聚る所以の者、亦た太虚中に充塞す。昨聚ると                      へんぷ  雖も、其の散ずる所以のもの、亦た太虚中に布す。  是の故に聚ると雖も必ず散ず、故に曰く、昨は晴る  と。散ずと雖も必ず聚る、故に曰く、今は陰ると。  言奇にして奇にあらず、これ常理なり。もしよく之   れうご     みはついはつ  を了悟せば、則ち未発已発の理も亦た一般なり。而   まさ   て当に戒懼慎独の実功たるを知るべきなるかな。   昨陰而今晴、予偶与弟子園地、忽仰天曰、   今即陰、而昨乃晴也哉、弟子駭曰、先生豈狂矣   乎、今晴而反謂之陰、昨陰而反謂之晴、何也、   曰、此非輩所知也、夫今之晴、特散焉耳、昨   之陰、只聚焉耳、今雖散也、其所以聚者、亦   充塞乎太虚中矣、昨雖聚也、其所以散者、亦   布乎太虚中矣、是故雖聚必散矣、故曰昨晴、   雖散必散矣、故曰今陰、言奇而非奇、是常理也、   如能了悟之、則未発已発之理亦一般、而当   戒懼慎独之為実功也夫、













散。陰気散す。

聚。陰気聚る。









中庸に本づく。
喜怒京楽の未だ
発せざるは未発
なり、発して節
に中るは已発な
り、陰晴相倚り、
未発已発相寓す。

戒懼云々。中
庸に本づく。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その123/その125

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