山田準『洗心洞箚記』(本文)128 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.16

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『洗心洞箚記』 (本文)

その128

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

       たたん 一五七 学は多端なりと雖も、要は心の一字に帰する                      のみ。一心正しければ、則ち性と命と皆了すべし。 ぎくわんけい  魏環渓先生曰く、「曰く、心を正しくす、曰く心を  存す、曰く心を洗ふ、人欲を去れば之を尽くす。曰             したが  く性を尽くす、曰く性に率ふ、曰く性を養ふ、天理                        に循へば之を尽す。曰く命を知る、曰く命を俟つ、                        したが  曰く命を立つ、曰く命に至る、人欲を去り天理に循      かは  ひ、死生渝らざれば之を尽くす。世人論弁紛紛たり、        まど    と  皆余の大いに惑うて解けざるものなり」と。此れ心  性命を分別して説くが如しと雖も、要は人の解し易  きがためのみ、其の立言の意を推せば、則ち吾が言  と亦た何ぞ異ならんや。   学雖多端、要帰乎心一字而已矣、一心正、則   性与命皆可了、貌環渓先生曰、「曰正心、曰   存心、曰洗心、去人欲之矣、曰尽性、曰   率性、曰養性、循天理之矣、曰知命、曰   俟命、曰立命、曰至命、去人欲天理、   死生不渝尽之矣、世人論弁紛紛、皆余之大惑   不解者也、」此雖別心性命、要為   人易解而已、推其立言之意、則与吾言亦何   異哉、





了。事すむ、
卒業といふ如し。

魏環渓。清の
学者、魏象樞、
環渓と号す。順治
二年の進士。




渝らず。生と
死とを一にして
心変せぬ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その127/その129

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