山田準『洗心洞箚記』(本文)129 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.17

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『洗心洞箚記』 (本文)

その129

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

      うしやう     し じ 一五八 嘗て烏傷の王氏華川巵辞を読む。其の言に曰                     れつ  く、「人の善を為さんと欲するや、一念の烈に由る     はん                 たう  のみ。反して之を求め、克つて之を致さば、則ち盗  跖も堯舜たるべからざるものあらんや」と。然れど    か ぐ            あへ  も人下愚移らざるの言あるを以て、肯て之を信せず      なん     みんし           けん  ば、則ち盍ぞ亦た明史の忠義伝を見ざるや。張献忠         せいいこう  襄陽を陥るや、盛以恒・楊所修等と城守す。賊城に     いこうとら  登る。以恒執へられ、賊を罵つて屈せず、賊のため    しかい  に支解せらる。所修亦た賊を罵つて死す。それ以恒  は固と士夫、之に死するは其の常分のみ。所修の如           たう     ぎやくあん      と  きは、故の魏忠賢の党なり。而も逆案に入り、徒を あがな             ようけんさうが  贖うて民となる者。則ち嘗て其の鷹犬爪牙となつて、       しやうがい  賢人君子を害せるや、言はずして知るべし。然も              賊の迫るに及んでは、毅然として忠義の人と共に罵                      れつ  り以て死す、これ何の心ぞや、謂ゆる一念の烈に非  ざらんや。然らば則ち良知は悪人と雖も未だ甞て之                      はん  を損ずる能はざること、此に於て見るべし。反して         之を求め、克つて之を致さば、則ち堯舜たるべしと  の云ひ、豈亦た虚言ならんや。且つ吾れ未だ所修が         嘗て王氏の巵辞を読んで而て興起せる者なるや否や                         を知らずと雖も、其の為す所の如きは、巵辞と合                   す。况んや忠義伝に載り、金石と朽ちざるをや。則  ち豈偉にあらずや。此れ始め善良にして終り姦悪な     えいかん  る者の永鑑なるかな。   嘗読烏傷王氏華川巵辞、其言曰、「人之欲   善也、由乎一念之烈而已、反而求之、克而致   之、則盗跖有堯舜乎、」然人以   下愚不移之言、不肯信之、則盍亦見明史忠   義伝乎、張献忠陥襄陽、盛以恒与楊所修等、   城守、賊登城、以恒被執、罵賊不屈、為賊   支解、所修亦罵賊死、夫以恒固士夫、死之其常   分而已矣、如所修、故魏忠賢党也、而入逆案、   贖徒為民者、則嘗為其鷹犬爪牙害賢人君   子也、不言而可知矣、然及賊迫、毅然与忠   義人共罵以死、是何心也、非謂一念之烈乎、   然則良知雖悪人嘗能之、於此可見矣、   反求之、克致之、則為堯舜之云、豈亦虚言哉、   且吾雖所修嘗読王氏巵辞、而興起者乎   否、如其所為与巵辞合、况載於忠義伝、   与金石朽、則豈非偉乎、此始善良而終姦悪   者之永鑑也夫、



烏傷云々。鳥
傷は地名。王氏
は王、明の太
祖に仕へ、忠死
す、華川は其の
号、巵辞は書名。

盗跖。大盗。

下愚。論語
陽貨篇に見ゆ。

張献忠。明末
の流賊。

盛以恒。字は
勉南。



逆案云々。逆
徒の罪案に入り
徒隷となるべき
を金を以て贖う
て平民となる。

鷹犬云々。魏
忠賢の与党。














合。ひつた
りと合ふ、は
吻に同じ。口び
る。


永鑑。永久の
手本。


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